よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

軍用品由来の品々


 今私たちが揺られている列車が走っている京都から舞鶴へと向かう鉄路も、舞鶴が一九〇一(明治三十四)年に鎮守府として開庁されたことにより敷かれた。
 鉄路ばかりではなく、私たちの日常生活で利用しているものというのは、軍用品として利用されたものばかりといってもいいだろう。何気なく便利さを享受している物の多くは、血で血を洗う人間の歴史の中で育まれたといってもいい。
 ちょっと話がそれるが、一例をあげれば、男性に人気のある革のブーツは、まさに歩兵たちが戦場で履き込んだものが、一般市民にも欠かせないものとなった。その由来を知るきっかけとなったのはイギリスのロンドンだった。
 私は革靴が好きで、今から十二年ほど前に取材で革靴の本場であるイギリスを訪ねた際に、時間を作って高級紳士服や革靴ブランドの店が建ち並ぶロンドンのジャーミンストリートに足を運んだ。そこで革靴好きには知られているブランドの店に入った。靴を見つつ、かねてから疑問に思っていたことを、物を知っていそうな雰囲気を漂わせていた、口ひげを生やした白髪の男性店員に尋ねた。
 その疑問とは、なぜイギリスの革靴工場がロンドンから北に百キロほど離れたノーザンプトンに集中しているのかということだった。
「ノーザンプトンには、多くの川が流れていることから水が豊富でね。皮をなめすのには好都合で多くの職人が住み着いたんだ。そして、ピューリタン革命の際に、クロムウェルが軍隊のために革靴を大量に発注したんだ。それによってノーザンプトンの名が知られるようになって、今日まで多くのメーカーが工場を置いているんだよ」
 軍隊には頑丈な靴が必要であり、それが今日、質実剛健で知られるイギリスの革靴のルーツとなったというのだ。私は店員の話を聞いて、普段履いていた靴が軍隊、そして戦争というものと繋がっていることに気づかされた。
 ピューリタン革命がきっかけとなってノーザンプトンではさらに靴作りが盛んになり、その後産業革命が起きると、イギリスでは軍人以外も革靴を履くようになった。革靴の需要が高まっていき、靴の生産がハンドメイドからアメリカで発明されたグッドイヤーウェルト製法などにより機械化されていくと、ノーザンプトンの工場から第一次大戦の際、二千万足以上の靴が軍隊に供給されたという。
 考えてみれば、カメラメーカーにおいて日本を代表するブランドであるニコンも、戦争中には、爆撃照準器を作っていた。そこで培われた技術というものが、戦後平和産業に転換しても、受け継がれていないわけはない。
 命のやり取りという極限状態が、科学技術の進歩を促し、結果的に我々の日常生活にも少なからぬ潤いをもたらしている。そう考えると、何とも複雑な気分にさせられるが、戦争と平和というものは、決して対極にあるものではなくて、ひと筋の道で繋がっているということに気づかされる。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number