よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 加津良遊廓は、自衛隊の艦船が停泊している港から、ひと山越した場所にあった。地名は長浜という場所で、三方を低い山に囲まれている。西側が穏やかな湾に面していて、まさしく隠れ里といった雰囲気を醸し出していた。一見すると普通の住宅街にしか見えないが、全国の遊廓跡における共通点で、道の幅が不自然に広い。その幅は、ここに来るまでに走ってきた車道より広いほどだ。
 加津良遊廓ができたのは、一九〇五(明治三十八)年のことで、東舞鶴の竜宮遊廓ができてから三年後のことだった。
 それまで海軍の港からほど近い中舞鶴には、遊廓がなかった。それ故に私娼たちが中舞鶴の旅館で客を取るなどして、風紀が乱れたという。
 先に引用した『ふるさと舞鶴』には、街の代表が記した嘆願書の一部が載せられている。
  

”近年、中舞鶴に増加した労働者の多くは若者で、遊郭がないために、人間の弱点として町内良家の婦女子に慣れ親しみ、妙手をふるってその前途を誤らせている。その結果料理旅館の酌婦はひとりとして淫売婦でない者はなく、現在ではその数九十名を下らない。もしこれを警察が取り締まれば、一晩で留置所があふれてしまうことだろう”


 嘆願書によれば、遊廓の設置は風紀粛正が表向きの理由となっている。だが、遊廓というものが経済装置であり、東舞鶴に竜宮遊廓ができたことにより発展の一助となったことから、二匹目のドジョウを狙ったというのが本音なのではないか。
『全国遊郭案内』は、加津良遊廓について、こう記している。
 

”此の街も新舞鶴と同様な運命を持つ處で軍港の力で發展して來た町である。鎮守府の無かつた以前には勿論一寒村で、遊廓等のあらふ筈は無かつた。従つて比處の遊廓も軍港が咲かせた花だと云つて差し支え無い。現在貸座敷は二十軒あつて娼妓は二十三人居るが、多くは近縣の女である”

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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