よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「ちょっと話は変わりますが、内村旅館というのはいつ頃からあったんですか?」
「今は壊して駐車場になっていますけどね。私のおじいちゃんの家です」
 たまたま声をかけた女性が、旅館経営者の孫だと知り、驚きを覚えずにはいられなかった。
「いつ頃から旅館の経営をはじめたんですか?」
「戦前からでしょうね。それこそ飛行場ができた頃かななんて思ったりしてたんですけど。もともと旅館があったのは基地の近くだったんです。うちのおじいちゃんが、このあたりもこれから栄えるだろうから、早く乗ったほうがいいということで、こっちに来たんです。ちょうど空襲があった時には、基地の近くで暮らしていたと言いましたけど、その頃に五十六部隊がいたと聞いています。私は特攻隊の兵隊さんに可愛がってもらったし、母親は基地なんかを作ったり、壕を掘ったり、道を作ったり。誘導路っていうのを作ったりしていました。基地の飛行機もずっと歩いた山の手に隠していたんですよ。山の中に誘導路を作って、そこに飛行機を置いて、木の枝なんかをかぶせて偽装してね」
「特攻隊のご記憶はおありでしたが、戦争が終わると米兵が進駐してきますよね、その米兵の記憶ってありますか?」
「キャラメルちょうだい、チョコレートちょうだいって言って、追いかけてね。そうするとこう投げてくれるんですよね。あと、上之町の道路でカーブがきついところがあるんですけど、そこを米兵のジープがすごいスピードで通って、ひとりの兵隊さんが振り落とされて死んだことを覚えています」
「米兵が、物を盗んだり、町の女の人にちょっといたずらしたりとか、そういうこともあったんですか?」
「まだ小さかったですからね。それはわからないですね」
「後から聞いたこともなかったですか?」
「聞いたこともないですね」
「あと、女性には少し聞きづらいんですが、例えばほかの基地の町だと、それこそ赤線だったり、パンパンと呼ばれた女性たちがいたんですが、ここにもいたんですか?」
「いや、いない、いない、いない」
 彼女は即座に否定し、念を押すようにいないという言葉を繰り返した。
「そういう人はいなかったけど、米兵たちが集まる食堂はあったよ。富屋さんがね。そういう場所だったんです」
 そこで私は、彼女のおじいさんが経営していたという内村旅館について尋ねてみることにした。
「富屋食堂をやっていたトメさんの本を読むと、それこそおじいさんが経営されていた内村旅館が、米軍指定の旅館になって、米兵の相手をする女性たちがいたと書いてありますが、それについてはどう思いますか?」
「それはトメさんが言うたんだもん」
「それは違うんですか?」
「米軍指定だなんて。米軍指定じゃなかったんです。米軍が泊まるための……」
 米軍の指定であったことを否定し、彼女は何か説明しようとしたのだが、なぜか話題を変えた。
「他の旅館の元女中さんが内村旅館にはいたんですよね。それで、その人が米兵の子をはらんで、子どもを産んだわけなんです。それで、あそこは連れ込み宿とか何とかって言われてしまったんです。そのあと、その人はそのままずっと富屋旅館で働いていたんですけどね。米兵との間に生まれた子どもはいい子でしたよ、トシ坊、トシ坊っていって。でも他の土地で死んでしまいました。その女中さんももう亡くなっています」
「その女中さんはどこの出身だったんですか?」
「知覧の人だったんですよ」
「地元の人だと、まわりの目もあると思うんですが、そのあともまた女中を続けられてたんですかね?」
「その頃、人手がなかったからでしょう」
 果たして、女性が事実を隠しているのか、トメさんが適当なことを書いたのだろうか、ただ、地元の女性が女中として働いていたとなると、内村旅館を米兵向けの慰安施設としたというのは、無理があるように思えた。そして、トメさんに関しては快い感情を持っていないことは間違いなかった。
「結局ね。昔の話はみんなきれいごとで話しますからね。だんだんみんなの記憶が曖昧になっていくと、悪いことはみんな忘れてしまうんですよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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