よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「海軍の方とは交流は色々あったんですね」
「佐瀬さんという方がいまして、その方が戦地に行かれて飛行機がやられて、足を骨折してね。終戦後お父さんお母さん帰ってきましたと言って、私のうちにも見えられた。そこから交流があったんですけど、私が宮崎に嫁にいった時も、宮崎のフェニックスというホテルに今来ているから、会いに来いと言われて、行ったことがありますね」


「終戦後になると米軍が進駐してくることになりました。その時のことで覚えていることはありますか?」
「終戦当時はみんな、逃げろ逃げろとおっしゃって。みんな大八車に食料品とか、家財道具を積んで山の奥のほうへ逃げてね。ただ、私たちの一家は逃げませんでした。逃げるの見ていたんです」
「何で逃げなかったんですか?」
「いやもう、そういう逃げるということは、全然私たち一家は考えませんでした。別に恐怖心もなかったです。来たら来たでしようがないだろうと両親は言っていました。そんな時に、兵隊さんが三人来られて、私たち故郷に帰るんですけども、今日泊まるところがないから、ここに泊めてくれませんかとおっしゃって、それで泊めてあげたら、お礼にたけのこの大きな缶詰や乾パンを置いていこうとしました。何にも要らないですよ、気をつけて帰ってくださいと言ってね、お見送りしましたけどね」
「それから、その年の九月になって米軍が来ましたよね。その時のご記憶は?」
「その時も全然知りません。米軍が上陸したのは九月四日だったんだそうですが、その頃は高隈にいまして、時々鹿屋に来ていました。父が町が好きな人でしたから、デパートに連れて行ってくれたんです。その界隈には、小さなうどん屋さんとかおそば屋さんとかがあるんですよ。そのお店の豆腐がおいしくて。弟と二人で食べました。豆腐がごちそうでしたよ」
「町に出られると、米兵が歩いているのを見たりしましたか?」
「見ませんでしたね。米兵って背が高くて怖い人だということは印象にありました。父には『チョコレートやらチューインガムとかくれるそうだけど、絶対にもらうな』と言われました。よその者からものをもらうなと。物乞いするなというか、ものをたかるなと。それは厳格でしたね」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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