よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「特攻隊員の方のご記憶は? 当時は五歳ですとあんまりないですか?」
「ありますよ。特攻隊員の方が、うちの店に入り浸ってましたよ。だって年頃の女の子がいますからね。一番上が十八ぐらいのね、それで二つ三つずつ違って、私のすぐ上の姉が小学五年生ぐらいなのね。私はまだ小学校入ってないから。そうするとね、小学五、六年の女の子、その上の姉と女学校の子、それで嫁入り前の二人、年頃の娘が四人もぞろぞろいるわけですよ。姉を目当てに来てて、私のお守りをしてくださるわけ。兵隊さんにお馬さんになれ、って言ったら乗せてくれたのかな、家の中をね、兵隊さんのお尻を叩いて乗ってね。それは覚えてます。あと父がお菓子を納める時は、必ず連れて行ってくれるんですよ。軍の方から連れて来いって言われてたみたい。今も東南アジアで走っている、あんなオート三輪で行ったんです。くろがね号と呼んでいました」
「北村さんはマスコット的な存在だったんですね」
「そうじゃなくてね、基地の中に子どもは一人もいないわけでしょ。お菓子屋の子どもが隊の中をね、走り回ってるわけでしょ。何も知らないから。みんな可愛がってくださる。だから、とある特攻の方はね、私にね、特攻少女って名前を付けてくださったのね」
 その情景を心の中で思い描いてみる。特攻隊員の中には、北村さんを妹のように思う者もいれば、幼い娘のように思う者もいたかもしれない。死出の旅が迫っているひと時、特攻隊員たちの気持ちを無邪気な北村さんの存在が慰めたことだろう。
 そんな特攻隊員たちが、飛んで行ったルートを北村さんも自衛隊の飛行機に乗せてもらい、辿ったことがあったという。
「開隊記念日が毎年あるんですけど、その時に司令のほうから、お母さんね、飛行機に乗せてあげると、ご招待していただいたんですよ。そしたら乗ってらっしゃる隊員さんがね、『今から飛ぶところは特攻隊の人が飛んで行ったルートです』と、言ったんです。そうしたら、もうね、泣けて泣けてしょうがない。飛び立つ爆音を聞いてね、滑走路走っていく時の、あのね、もう本当にこれでね、最後でしょ。大地からわーっと上がった時はね、もう本当悲しかったですよ。特攻機は離陸したあと開聞岳のとこまで行って、まあ何十機飛んだか知りませんけど、当時は開聞岳の上で皆さん合流して、それから飛んで行かれたっていうのを聞いてました。もうね、開聞岳の上まで来た時にはね、涙で全然景色も見えなかったです」
「特攻隊員の方たちは、鹿屋から飛ぶ時に、このお菓子屋さんのところで別れの挨拶をしたんですよね?」
「旋回したそうなんですよ。マフラーを風防から出して、ひらひらさせたそうです。三回ぐらい回って上がっていったそうです。特攻隊員の方は、鹿児島出身の方ならご実家の上空まで挨拶に行ってから、沖縄に飛んでいったそうですよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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