第一話 金泥の櫛(くし)
島村洋子Yoko Shimamura
四
「あれ、どうしやんした?」
その声にお美弥が振り向くと、昼三(ちゅうさん)という高い位の花魁の龍田川(たつたがわ)が立っていた。
売れっ子なのに気さくな性分なのか龍田川は困った者誰かれなしに声をかけて面倒をみていた。
大きな瞳に小さな唇、なんとも言えない色気があるのだが本人は全くそれを意に介していないところがなんとも魅力である。
大きな鼈甲の簪を何本も挿し、細いからだになかなかの色気である。
「何か気にかかることでもありんすかえ?」
そう言う龍田川の言葉にお美弥は慌てて自分の両頬に手を当てた。
自分の顔になにか書かれてあるような気がしたからである。
そんなお美弥の様子を見て、龍田川はふふふと笑いながら袖を引っ張った。
「そういう時はうまいものでも食べやんせ」
そう言って龍田川は自分の部屋にお美弥を誘った。
龍田川のような昼三ともなれば自分専用の部屋を持っている。
しかも一間ではなく、二間持っている。
酒や三味線を楽しむ部屋と寝るところは別で、どちらも上様のいらっしゃるところもかくやと思わせるほど輝かしい装飾である。
美しくなまめかしい部屋ではあるが、ここが楽しいことばかりではないのはお美弥にも身にしみてわかっている。
いくら売れっ子の花魁であろうと売られた身であるのは位の低い女郎と同じである。
しかしそのことを売れてからも忘れていない者はそれほど多くはない。
龍田川は人の気持ちがよくわかる人なので下っ端にも人気があるのだろうとお美弥は思った。
男の身分がどれほど高かろうが、金を積もうが選ぶ権利は花魁側にある。
しかし裏を返せば花魁側にもそれに値する魅力があってはじめて成立することである。
十畳の部屋はこれまでお美弥が一度も見たことがない豪華なものであふれていた。
欄間には菊や梅、桜や鶴が浮き出たように彫られている。
これはどのくらいの時間をかけ、どれほどの大工が作ったものなのだろうか、もともと大工の娘であるお美弥は感嘆の声をあげながらあたりを見回した。
床の間の掛け軸や襖(ふすま)に描かれているのは乱菊(らんぎく)や尾長鶏(おながどり)、牡丹(ぼたん)や蓮(はす)の花、一級の美術品が醸し出す凄(すご)みとともになんとなくもの悲しさをともなう美しさがあった。
「珍しいものでも見つけたんでありんすか?」
「ええ」
お美弥は深くうなずいた。
何をどう褒めて良いものやら言葉が見つからない。
ただわかったのは、自分はこれまでに本当に美しいものを見たことがなかったのだということだけだ。
まだほんの子どもなのに禿(かむろ)がふたりおとなしくこちらを向いたままじっと座っていた。
この子らは幼い時から修業を積み、将来は花魁になるべく選ばれた子どもたちである。
外で自由に遊びたい年頃だろうに、と土にまみれて遊んでいた自分の幼い頃を思い出しながらお美弥は彼女たちを見つめていた。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。