第一話 金泥の櫛(くし)
島村洋子Yoko Shimamura
十六
清吉の素早く動く指を見ながら龍田川はその腕の確かさに感心していた。
ばらけていた髪があっという間にまとまっていくのをうまいものだなと見とれていた。
「近頃は亀屋の清吉がお気に入りなんだね。もう決めちまったのかい?」
と女将に冷やかされたりもしたがいろんな人に、
「最近の頭は一段と似合ってていいねえ」
と言われるので龍田川もまんざらではないのだ。
「結局、身元ははっきりしないんでありんすか」
と問いながら龍田川は、清吉はだいたいをもう把握しているのではないのかと思った。
男とは思えない細く長い指を器用に動かしながら清吉は、
「まあはっきりとはしないんですがね」
と言った。
女郎に惚れた冴(さ)えない中年男の身投げに過ぎなかったのだろうか。
お美弥はたしかに可愛い娘ではあるが、いい歳をした男が行き詰まって死にたくなるほどのなにかがあるとは思えない。
どちらかと言えばそんな何かを持っているのは梅香のほうである。
しかし梅香に尋ねてみてもお美弥の言う「よしさん」という男には覚えがないらしい。
いったい土左衛門は誰なのだろう。
瓦版にも新しい話は載っていないし、噂も聞こえては来ない。
清吉は、
「雲をつかむような話ですが大騒ぎするほどのこともないのかとも思うんですが」
と言うがひとつたとえ話を始めた。
いつもの鬢付け油を買う店でのことである。
「ちょっと調合を間違えただけで玄人の手前どもにもわからないほどのことなんだから黙ってたらわかりゃしないのに、老舗の矜持(きょうじ)というかそういうものってあるんだなと、何かこのことは櫛の話に通じるんじゃないかという気がいたしまして」
なるほど、と龍田川は思ったが案外、どこかでたまたま櫛を拾った男が土手で足を踏みはずしただけなのかもしれないとも思う。
それでいてその油屋の話は気になった。
どうしても偽物の櫛が許せない者もいるかもしれない。
自分だって売られた買われた身ではあるが、大枚はたいた甲斐(かい)があるとすべての客に思わせたいし、さすが春日屋の花魁は違うと噂されたいのはその道の第一番を目指している人間ならば誰でも思うことである。
「まあなんとかたどり着くまでやってみます」
と言った清吉に龍田川が、
「土左衛門は櫛の値打ちがわかっていたんでありんすかねえ。それともただ好きな女の使っているものが欲しかったんですかねえ。ここで物の価値がわかっているのは店主の幸兵衛さんを除けば小間物屋と」
と言った。
「梅香ちゃんでありんすね」
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。