よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第一話 金泥の櫛(くし)

島村洋子Yoko Shimamura

「娘さんたちはどうなりましたかね」
 可愛いさかりの仲の良い姉妹だった。
「ああ、お梅ちゃんとお絹ちゃん、あの子たちは売られちゃったよ」
 団子屋の女は顔をしかめて言った。
「売られた?」
「吉原にね。ほらお父っあんがあんな様子で借金をたくさんこさえちゃったもんで仕方がないんだけどさ。かわいそうなことだよ」
 吉蔵は言葉に詰まった。
 人には運不運があるといってもこんなことが起こっていいものだろうか。
 幼い当時のことしか知らないのでなおのこと不憫(ふびん)な気がした。
 幼くして母を失っただけでもかわいそうなのに、あの子たちが金で買われて客を取らされているなんて考えるだけでもたまらなくなる。
 そうしているうちに怒りがこみあげてきた。
 もう一度、そこの戸を開けて横たわっている老人を殴りたい気持ちにかられていた。
「おかみさんが病になったり、安兵衛さんが怪我したり、気の毒だったけどね」
 不慮の事故に遭って以来、妻を亡くしたあと酒浸りになったという安兵衛のことを思うと吉蔵はたまらなくなった。
 下の娘の行方はわからなかったが、上の娘がいるのは春日屋という吉原でも一、二を争う大店だということがわかり吉蔵はとにかく吉原に向かうことにした。
 吉原といってもいろいろな格式の店があり、安く遊べる店もあるし、その店に行くためにはわざわざあいだに紹介してもらう店を挟まなくてはならない店もある。
 どうやら春日屋はその最高級の店だということが吉蔵にもわかった。
 そして一言で女郎といっても張り見世の格子の中にいる者から御目文字(おめもじ)叶(かな)うまでに何十両もかかるような位の高い花魁もいるらしいが、売られた事情から推察するにお梅はまだそれほどのところにはいないだろう、と考えて吉蔵はとりあえず吉原に出かけてみた。
 大杉戸をくぐると折りよく、花魁道中が行われていた。
 絢爛(けんらん)豪華な衣裳に見事な簪で、傘をさしかける男と子どもを二人したがえ、高い履物でそろりそろりと歩んでいく。
 こういう人とは一生口をきくこともないのだろうと吉蔵は憧れと切なさにも似たような不思議な感覚でそれを眺めていた。
 吉原全体はどうなっているのだろうと吉蔵はとりあえずそこら辺を歩き回ることにした。
 花は綺麗に咲いて三味線の音も聞こえるが、まだまだこの町は暗くなってからが本番らしい。
 仲の町の引き手茶屋という一種の高級案内所のようなところで、春日屋に行ってみたいと吉蔵は伝えた。
「春日屋ですね。ご存知かと思いますがあそこはお値が張りますんで」
 とこちらの懐具合を窺(うかが)うように白髪交じりの出っ歯の女が言った。
 高いのはわかっていたがどれだけ高いのかはわからない。
 しかし乗りかかった船というかもはや仕方がない。
 とにかくお梅にだけでも会いたい。
 そう思いながら振り返って外を見た瞬間、見覚えのある櫛と笄を頭に挿した女が通るのを見つけた。
「ちょいと用事を思い出したんだ、すまねえ」
 そう言って吉蔵は引き手茶屋を飛び出し、その女のあとをつけて行った。
 女に声をかけて尋ねると、笑くぼが時々見える可愛い娘は、
「内緒ですけど、これは見込みのある者だけに店からもらえるんですよ。私もこれをいただいてから張り切る気持ちになっちゃって」
 と吉蔵に教えてくれた。
 恥じらいながら話す姿がなんともたまらず、吉蔵は年甲斐もなく胸が熱くなるのを感じた。
 娘は十九になるお美弥という春日屋の女郎だった。
 その日から吉蔵はお美弥の客になった。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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