第一話 金泥の櫛(くし)
島村洋子Yoko Shimamura
どうやら櫛はたくさんあるらしい。
自分だけに与えられたと信じていたのに。
それでなくてもやれ人の客を取っただの、金がなくなっただの廓(くるわ)は毎日事件があって大騒ぎで、誰もこんな新入りの女郎の話を真剣に聞いてくれるはずもないのだ。
いったいどうしたものかと宙を見つめて考えてみたが、そもそも内緒にしていたので自分以外にはこんな話、関係のないことだとも思った。
まあ、はなから気に入っていたものではないし、店主に返せと言われそうな気配もないのでこのままにしていてもいいのではないか、と梅香はひらきなおった気持ちになっていた。
しかしその頃、店でとんでもない噂を聞いたのだった。
「お歯黒どぶに土左衛門があがったんだって。梅香さん、知っているかい?」
そう同輩に言われて梅香は首を真横に振った。
吉原のまわりの深い堀、通称お歯黒どぶで土左衛門が出るのはよくあることなので梅香は、
「へえ、またかい?」
と気の無い返事をした。
自殺なのか殺しなのかは知らないが、十日に一度はそんなことがあるのだ。
「それが色気のある仏さんらしくてね、黒い塗りの櫛を懐に入れてたらしいんだよ」
「黒塗りの櫛?」
黒い塗りの櫛などどこにでもあるものだから自分が店主にもらった例のものとは思わなかったが気待ちの良いものではない。
もらった櫛を梅香は一度も挿していなかったのだが。
「ほらこれだよ」
と瓦版を渡されて息が止まった。
これはまさしく自分が店主にもらったものと同じである。
困ったことになったと梅香は息をついた。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。