よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

アメリカのようになった基地の街
 町が再び息を吹き返すきっかけとなったのが戦争だった。
 芦屋に日本陸軍の飛行場ができたのは一九三九(昭和十四)年のことで、太平洋戦争開戦二年前のことだった。戦争末期には、本土決戦に備えて第百四十五師団が配備された。九州は、史上最大の作戦と呼ばれたノルマンディー上陸作戦を凌ぐ米軍をはじめとする連合軍の上陸作戦も予定されており、ポツダム宣言を日本が受諾しなければ、戦場となっていた。結果的に戦闘は回避されたが、芦屋にあった日本陸軍の飛行場は、戦後米軍に接収された。
 芦屋に活気が戻ったのは、朝鮮戦争の勃発によってである。玄界灘を挟んで朝鮮半島と向かい合う芦屋からは、連日米軍の爆撃機や輸送機が飛び立った。基地で働いていた日本人従業員の数は一万人にもなった。
 前線から戻った兵士たちは、再び戦場に身を投じるまでのひととき、ここ芦屋で手持ちのドルを使い果たしたという。

 ホテルに荷物を置いて町を歩いてみることにした。すでに日が暮れかかっており、時代を重ねてきたことを感じさせる一軒の居酒屋へ入った。
 店には私以外に、男性客がひとりだけだった。その客が勘定を済ませて店を出ると、皿を下げていた和服姿の女性に声を掛けてみた。
「すいません。朝鮮戦争の頃の話を聞きたいんですが?」
 女性はちょっと、こちらを窺うようにしてから話してくれた。
「あの頃、私は高校生だったんですけど、学校はバスで通っていたんです。夕方芦屋に帰ってくると、キラキラ輝いているお店の明かりが目に入ってくるんですよ。英語の看板がたくさんあって、映画に出てくるアメリカの街みたいだったですね。日本じゃありませんでした」
 ちょっと聞きづらかったが、パンパンについても尋ねてみた。
「いたとは思うんですけどね。話には聞いていましたが、夜に出歩いたこともないですし、昼間は学校に行っていますからはっきりとは覚えていないんですよ」
「パンパンについて聞かれた話というのは?」
「そういったご商売をされていて、今も芦屋に暮らしている方がまだいるんで、あんまりお話はできないんですけど、そうした女性が多かったということです」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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