よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 日本へ帰ったきり、クンユアムへは戻って来なかったタケモト、果たして彼はその後どんな人生を歩んだのだろうか、彼の記憶の中でもパンさんのことは消えることはなかったに違いない。できることなら、タケモトの消息を知りたかったが、あまりに漠然とした情報しか得ることができなかったので、跡を追うことは諦めざるを得なかった。

 クンユアムに滞在中、時には通訳を伴い、時には一人で、私はパンさんの家へ足を運んだ。連日顔を合わすうちに、彼女の記憶の糸が少しずつ結ばれはじめた。
「バケツ、サムイ、イッパイ、ミソ」
 彼女は突然日本語の単語を呟くようになった。タケモトと暮らした日々の中で覚えた日本語が記憶の奥底から蘇ってきたのだった。その単語をしわがれた声でパンさんが呟く度に、その声の主がパンさんではなくタケモトのように思えてならなかった。七十数年という時を超えてタケモトの魂はこの地に残っていた。
「タケモトはあなたぐらい背が高かった」
 と身長一七六センチの私を指差して言ったこともあった。
 私はクンユアムを去る日の朝もパンさんの家へ足を運んだ。彼女はいつもと同じように、家の外に備え付けられたベンチに座っていた。私が日本に帰ることを告げると、
「気をつけてな。元気で」
 と言った。私は「さようなら」と言うと、パンさんの家を後にした。二十メートルばかり進んで、パンさんの方を振り返ると、彼女は少しも変わらない姿勢でベンチに腰掛けていたのだった。
 クンユアム近郊には、タイ政府の帰国命令に従わず、ジャングルの中に消えた日本兵もいたという。私はクンユアム近郊の山村を訪ねて、日本兵の消息が掴めないか歩いてみたが、やはり戦後七十年以上という時間の重みには如何ともし難く、何の情報も得られなかった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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