よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 パンさんの記憶の中に刻まれた一人の日本兵がいる。兵士の名前はタケモト。ここクンユアムに駐屯していた日本軍兵士たちは、終戦とともに日本へ引き揚げていったのだが、中には、帰ることを拒みタイ人の女性と暮らすなどして居残る者も少なからずいた。タケモトもそんな兵士の一人だった。パンさんの家へ、タケモトが何度か遊びに来るうちに、お互いに好意を持ち、二人は結婚に至る。そしてタケモトは終戦後もこの地に残った。
「タケモト、ハヤカワ、カタヤマ、マサル、ムラカミ」
 パンさんはタケモトの他にもこの地に残った日本軍兵士たちの名前を覚えていた。彼らもこの地で、タイ人女性と暮らしていたのだという。日本兵たちは互いの家を行き来しながら、生活していた。
「薪を取りに山へ行ったり、水汲みに行ったり、タケモトはよく働いてくれましたよ。タケノコやキノコを採ってきては料理して、おいしい、おいしいと言って食べていました。ここは夜が涼しいから、ビルマに比べたら、天国だと言ってました」
 タケモトは軍歴に関しては語ることがなかったが、ビルマ戦線から、ここクンユアムへと逃れてきたことはパンさんに伝えていた。果たして、彼がなぜこの地に残る決心をしたのか、パンさんへの好意の他に何か理由があったのか、はっきりしたことはパンさんにはわからなかった。ただ、タケモトと暮らした日々は良い思い出しかないとパンさんは言う。タケモトの姿が藤田さんの姿とだぶった。タケモトも地獄の戦場を経て日本に絶望し、この土地に残ろうと思ったのかもしれない。
 しかし、パンさんとタケモトの暮らしは戦後から二年ほどで突然、終わりを告げることになる。タイの警察がパンさんとタケモトが暮らす家へやって来て、日本兵は国へ帰らなければならないと告げた。一九四七年五月のことだった。
 その当時クンユアムにはタイ人女性と結婚した日本兵が五十人ほどいたという。今では空き地となり、露店が並ぶかつての飛行場跡の広場にタケモトら五十人の日本兵は集められ、バンコクへ飛行機で向かうことになった。その日、パンさんは友人と飛行場に見送りに行った。母親にタケモトと一緒に日本へ行きたいと訴えたが、母親は首を縦には振らなかった。今では、その日タケモトと最後にどのような会話をしたのかもはっきりと思い出せない。ただ、悲し気なタケモトの顔だけを、涙であふれた瞼に焼き付けた。
 その後二年ほど、パンさんは来る日も来る日もタケモトからの連絡を待った。もしかしたら帰ってくるのではないかと淡い期待もしていたが、手紙の一通も届かなかった。パンさんは、両親のすすめもありタイ人の男性と再婚。十年前にその夫は亡くなり、今は猫に囲まれ一人で暮らしている。
 パンさんの手元には、タケモトの所持品や写真の一枚すら残っていない。彼女の記憶の中にしかタケモトはいないのだ。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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