よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 その後石炭は、家庭内で薪(まき)の代替品として利用される程度だった。日本で産業向けに石炭が利用されるようになったのは、江戸時代中期以降のこと。瀬戸内の製塩業者が利用しはじめたのだった。石炭は、海水を煮詰めるための薪の代わりに利用された。石炭以前は、松の葉や枝などが使われていたのだが、塩田が利用する薪の量は、規模にもよるが平均的な塩田一軒で年間三千本近い松を必要とした。塩田の周囲の山林ではまかないきれず、中国山地の山奥から切り出され、薪問屋を介して各塩田へと運ばれたのだった。
 瀬戸内海の赤穂を中心に、製塩が盛んとなると、薪の需要は高まっていく。それにより薪の値段は高騰し、生産額の五割は薪代に消えたという。
 塩田経営者は薪代を如何に抑えるかが死活問題となったのだが、そこで現れた救世主が石炭だった。豊富な埋蔵量を誇った九州から安定的に石炭が供給されたことにより、経費を抑えることができ、石炭は主要燃料になった。
 国内ばかりではなく、イギリスでは産業革命が産声をあげ、一七六五(明和二)年にワットによって蒸気機関が改良され、石炭は蒸気機関向けの燃料として注目されるようになり、鉄道や船の燃料としてこれまでとは比較にならない量の石炭が使用されるようになった。
 江戸から明治へと時代が移り、日本が世界と繋がることによって、石炭はさらに大量に必要とされるようになったのだった。石炭は単なる燃料ではなく、人と人、日本と世界を結ぶグローバルな資源だったのだ。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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