よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「残念ながら、彼は死んでしまいました。もう十年は経っているんではないでしょうか。その当時で年齢は八十五歳だったと思います」
 戦後から七十五年の日々は、あまりにも長過ぎた。ある程度覚悟していたとはいえ、私は落胆する気持ちを抑えて、その老人について、彼が知っていることを尋ねた。すると老人は、淀みなく語りはじめた。
「彼はマスターと呼ばれていました。私が彼に出会ったのは、戦争が終わって十年ほどして、この村に戻って来た頃でしょうか。ここも戦場になり、手榴弾を囲んで五人の日本兵が自殺したという話も残っています。戦争が終わってから彼は、ビルマ軍の郵便物を運んだり、土木工事を手伝ったり、いろんな仕事をしていました。ヒンディー語を流暢に話して、週に一度は私の家にご飯を食べに来ました。何度も彼に言ったんです。『マスター、何で日本に帰らないんだ。戦争は終わったんだから、日本に帰るべきだ』と。するとマスターは、『勝つために戦ってきた、だけど日本は負けてしまった。だから帰るわけにはいかないんだよ』と、いつもそう言うのです。こちらでは結婚もせず、一人で暮らしていました。日本人が訪ねて来ることもありませんでした」
 果たして、ほとんどの日本人が知らないモホウという田舎町で、マスターはどんな思いで暮らしていたのか。なぜ日本に帰ることを拒み続けていたのか。戦いに負けたことだけではなく、この地で亡くなった戦友たちを弔う気持ちも心の中にあったのかもしれない。ただ今となってはマスターの思いを知る由もない。
 ミートキーナ周辺には、戦後多くの連合国兵士たちも祖国に帰らず、住み着いたという。中にはイギリスの植民地であったインド人や遠くはナイジェリア人たちの姿もあった。いわばこの地は、干戈(かんか)を交えた者同士が暮らした土地でもあった。ビルマ人たちは、自分たちの土地でよそ者たちが、殺し合いをし、しかも自分たちも巻き込まれたにもかかわらず、武器を置いた者たちを優しく迎え入れてくれたのだ。
 タイとビルマ、インパール作戦における白骨街道の起点と終点ということで繋がった両国には多くの日本兵たちが、戦後もこの地に留まり日本に帰ることなく暮らしていた。ある者は、妻を娶(めと)り戦友たちの遺骨を拾った。またある者は帰国を拒みジャングルの中に消えた。それらの記憶はこの地に暮らす人々の心の中に今も消えずに残っている。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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