よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

高倉健が働いていた基地の街
 北九州でどうしても足を運んでみたい町があった。芦屋という町である。北九州を代表する石炭の積み出し港だったのは門司と若松だが、二つの港は、鉄道網が整備されたことにより、発展していった歴史がある。それ以前から筑豊を中心に石炭の採掘は行われており、鉄道が敷かれる前は、筑豊で採掘された石炭は遠賀川の水運を使って、下流にある芦屋に集められ、そこから各地へと運ばれた。いわば門司、若松以前の港町が芦屋である。
 芦屋は石炭の集積地になる以前から港町として栄えた。その歴史は古く、産土神(うぶすながみ)である岡湊神社は日本書紀にも記されている。近代になって日本陸軍の飛行場ができ、戦後には米軍に接収され米兵相手の色街として大いに賑わった。
 芦屋へは、JR鹿児島本線の遠賀川駅が最寄り駅となる。とはいっても、そこからさらにバスに三十分ほど揺られなければならない。
 改札口がひとつだけの小ぢんまりとした駅舎は、ローカル線が走る田舎町という風情が濃厚に漂っていた。
 駅前にあるバス停には、老齢の女性が数人と学校帰りの女子高生がバスを待っていた。彼女たちに続いてバスに乗り込んだ。町中を抜けると、右手に悠然と流れる遠賀川が目に飛び込んできた。さらに揺られていると、左手には競艇場が見えた。この日はレースがおこなわれておらず、広大な駐車場は空っぽだった。
 この競艇場は、かつて取材したストリップ業界を牛耳った人物が足繁く通った場所だということに気づいた。その人物の名前は瀧口義弘。全盛期にはひと月に一億円以上を稼いだが、ストリップ業界の衰退とともに、二〇一一(平成二十三)年には最後に経営していた劇場から身を引いた。その瀧口の故郷は福岡県宗像市で、引退後は故郷に戻り、手元に残った金すべてを博打に注ぎ込み、芦屋へも通ったと話してくれたのだった。今では生活保護を受けながら満足に日も当たらないアパートに暮らしている。
 瀧口は元銀行員で、実の姉がストリップ業界では知らぬ者がいない桐かおる。その姉に呼ばれて銀行員の職を投げ出し、ストリップ劇場の経営者になったという異色の経歴の持ち主だった。博打が好きで、数百億円の稼ぎのほとんどを博打に使った。私のような凡人の感覚からすれば、数十万円の金でも右から左にすったものなら、何十年と後悔の念に苛(さいな)まれることだろう。それゆえに瀧口が、億単位の金を惜しげも無く使い果たした感覚を理解することはできない。しかも彼は、一文無しになった今も、過去に失った金への執着心を少しも見せないのだった。
 そんな姿から何となく感じることができるのは、瀧口にとって賭博とは、金の損得ではなく、多額の金を賭けることにより、現実の世界では得られない快楽を求めるためのものだったのではないかということだ。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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