よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 藤田さんは部隊からはぐれ、腹を空かし、一杯の飯を求めたことが亡くなるまで添い遂げたタイ人の妻との出会いとなった。
「当時、このあたりは彼女と兄が暮らす家しかなくてジャングルだったんじゃよ。日本兵同士は食糧のことでお互いに親切にはしないけど、こっちの人間は親切にしてくれたんだ。それで、もうこっちで暮らしてもいいかなと思ったんじゃ」
 インドのインパール近郊からタイのランプーンまで続いた、藤田松吉の“インパール作戦”は、妻になるタイ人との出会いによって、この地で終わった。ひとりぼっちの終戦だった。
「赤紙一枚で兵隊に取られて、日本は何で最後まで面倒を見てくれなかったのか。ワシだけじゃなくて、ビルマの山奥には元日本兵が多く暮らしている。日本政府はきちんと調べなきゃいかんといつも思うんじゃが、何もしない。日本は経済成長で大金持ちになったというのなら、何できちんとこっちに残った兵隊のことを調べないのか」
 現地人の好意によって、藤田さんは安住の地を見つけたが、同時に兵隊として召集したにもかかわらず、きちんと遺骨を引き取りに来てくれなかった日本政府への怒りが胸の中には渦巻いていた。それが、現地に残って遺骨収集を続けた原動力となった。
「兵隊たちはみんな日本のことを思って戦ったんだよ。言いたい文句はいくらでもあるんじゃ。せめてジャングルの中に眠っている兵隊の骨はきちんと拾うべきじゃないのか。誰もやらんから、ワシが拾うことにしたんじゃよ。それで家の敷地に慰霊塔も建てたんじゃ」
 庭の片隅にある藤田さんが建てた白い慰霊塔に足を運んだ。慰霊塔には金色の文字で噫 忠烈戦歿勇士之慰霊塔と書かれていた。塔には遺骨が納められるようになっていた。現在まで千体以上の遺骨がここで眠っているという。
 藤田さんはこの日の話を終えると、腹が減ったと言って、タッパーにご飯を盛ってきて、ゆっくりと、口に運びながら噛みしめるように食べた。タッパーにこびりついた米も無駄にしないように最後はタッパーにジャスミンティーを入れて、最後のひと粒まで残さなかった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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