よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

色街はかろうじて生きてきた
 かつて石炭の積み出し港として栄えた北九州の若松へ小倉からタクシーで向かった。外は靄(もや)がかかり、細かな雨が車窓を濡らしていた。いつものようにタクシーの運転手さんに若松の色街土井町について話をふってみる。
 初めて向かう色街へは、タクシーを利用するようにしているが、その車中で運転手さんから面白い話を聞けると、まだ街には着いていないのに、半分取材が終わったような気になる。それほど、地元の運転手さんから聞ける自身の経験談を交えた話は、生々しくて、興味深いものが多いのだ。
 小倉駅前を出て、道が広々としたところに来たとき、話をふってみた。
「これから、土井町に行こうと思うんですが、運転手さんも遊んだりしたんですか?」
 今回の運転手さんは、嬉しいことに「ほおーっ、懐かしいですね」と、話にのってきた。
「昔は、賑やかなところでしたからね。私も若い頃に行ったことがあります。今から四十年ぐらい前のことですけどね。仲間にあそこで遊ぶのが好きなのがいましてね。よく一緒に行ったんです」
「運転手さんも遊んだんですか?」
「いやいや、私は別にマジメなわけじゃないんですが、どうもあのちょんの間というんですか、あれが苦手でね。あの時代はシャワーじゃなくて、働いている女の人が桶に溜めた水でアソコを洗うんです。それを見て、ちょっと無理だなという気になってしまったんです。それに布団も万年床でしょう。だから、友達に付き合わされると、いつも友達がやっている間、テレビを見て帰ってくるだけでしたね」
 桶でアソコを洗うと聞いて、クアラルンプールにある薄暗い置屋を思い出した。ほとんどの店は華僑が経営していて、歴史を感じさせる木造建築が連なっていた。働いていたのはインドネシア人の娼婦たちだった。もしかしたら、そこにもからゆきさんはいたかもしれないなと話を聞きながら思った。
 若戸大橋に差し掛かると、眼下に靄にけむった洞海湾と若松の町が見えた。
「この路地を入ったところになります。もう建物は残ってないでしょうし、商売もやってないと思います」
 土井町に着くと、運転手さんがかつて入ったちょんの間のあった路地の入り口で止めてもらった。
 土井町を歩いてみると、確かに空き地も目についたが、まだまだ昔ちょんの間だった建物が多く残っていた。土井町は私娼窟として賑わい、一九三九(昭和十四)年には四十三軒、百六十五人の娼婦がいた。
 戦後になって、エネルギー革命により石炭から石油へと熱源が移り変わり、沖仲仕(おきなかし)が必要でなくなると、色街は寂れた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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