よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「僕が一緒に仕事をしたのは、チュニジアロケだったんですが、高倉さんは泊まる部屋以外に一室分を占領するほどの荷物を持って来ましたよ。カップラーメンからカフェグレコのコーヒーまで、体調を崩しちゃいけないから、食べ物はほとんど日本から運んできてましたね。髪を切るのも、専属の人がいて、二週間ごとに東京から呼ぶんですよ。それもファーストクラスでね。他の人に髪を切らせて、イメージが変わっちゃいけないというポリシーですよ」
 当然、食べ物だけではなく、衣装にもこだわり、映画のためにフランスで衣装を揃え、革のカバンは青山のブティックで三十万円くらいするものを茶と黒の二種類用意し、気に入った茶のカバンを使っていたという。
 衣装や道具にこだわり、演技にも並々ならぬ熱が感じられたという。
「北海道のロケで、その日は高倉さんの出番はなかったんですよ。他の出演者が夜に屋外で撮影をしていたんですが、遠くにひとりおっさんが立ってんですよ。スタッフが誰だあれ、邪魔だよ、なんて言ったら、現場を見に来た高倉さんだったんです。そんで、若い役者にアドバイスしたりしてましたね」
 高倉健についての話を聞きながら、改めて日本の文化においても、米軍の存在というのは、大きな影響を与えたことを教えられた。

 さらに芦屋の町を歩いて、米軍がいた時代の痕跡を探した。街の中心部から十分ほど歩くと、遠賀川の川岸にある岡湊神社に着いた。境内を歩いていると、ソテツが植わっていた。説明板を読むと、そのソテツは江戸時代の島原の乱で福岡藩の武士が参陣した際、キリシタンを中心とした一揆軍が立て籠もっていた原城に植わっていたものだという。原城のある島原半島は、からゆきさんの主な出身地であり、これから訪ねようと思っていた土地でもあった。石炭とも深い縁で結ばれている。芦屋からからゆきさんが密航したという記録は読んだことがないが、十七世紀前半の戦乱と芦屋の町は深い繋がりがあった。
 神社の裏から川岸の歩道に出た。河口ということもあり、対岸までは五百メートルほどあるだろうか。洋風の一軒の民家の前で、ひとりの男性が、庭の植木に水をまいていた。町の中心部からは離れてはいたが、話を聞けそうな人がこれまで見当たらなかったこともあり、声を掛けた。
「米軍のいた時代は賑やかだったんですよね?」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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