よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 翌日、藤田さんに私は奥さんとの馴れ初めや生活について詳しく聞きたいと思い、家を訪ねた。すると藤田さんは布団に寝転がりながら、戦記物の本を読んでいた。あれほどまで苦しめられた戦場のことを振り返る気持ちは、どこから生まれてくるのだろうか。どんな体験であれ、時を経るとともに、人は思慕したくなるものなのだろうか。過酷であればあるほど、その思いは強まるのだろうか。藤田さんの姿に人という生き物の不可解さを感じずにはいられなかった。
「奥さんとのことについてお話を伺いたいんですが」
 本を閉じたのを見て、私がそう口を開くと、いきなり藤田さんが言った。
「人の情というのをお前は知らん。浅ましすぎる」
 そう言ってから、前述のように藤田さんは怒ったのだった。幾度となく取材対象者と向かい合ってきたが、このように感情を露にされたのは初めてのことだった。
 残念ながら藤田さんへの取材は中途半端な形で終わった。まだまだ話を聞きたかったが、まさに後ろ髪をひかれる思いだった。改めて訪ねようと思いながら果たせず、藤田さんは私が訪ねた翌年、九十歳で亡くなった。
 藤田さんは一度、日本に帰ったものの、それからはずっとタイに暮らし続けた。戦場に送り込まれたにもかかわらず、捨て置かれたという気持ちが、彼をそんな思いにさせたのだろうか、彼の胸のうちは結局聞けずじまいだった。
 今改めて藤田さんとの出会いを振り返って、「何で日本政府はきちんと遺骨を拾わないのか、残った兵士たちを探しに来ないのか」という言葉が私の心に刻まれている。
 この原稿を書いている二〇二〇年五月、日本列島をコロナウイルスによる感染症が襲っている。
 日本政府は満足に補償をすることなく、外出自粛のお願いと我慢という言葉だけで、この未曾有の危機を乗り切ろうと画策している。その様は、一億玉砕を唱え、兵士ばかりか、銃後の市民までも戦争に巻き込んだ大日本帝国の姿となんら変わりはない。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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