よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 翌日、朝からアメリカのようだったという通りを歩いてみた。
 その通りは商店街になっているが、彼女に言われなければ、日本の女性たちを連れて米兵が歩いていたことなど、想像もつかない。ただの寂れた地方の通りである。
 日本陸軍の飛行場からはじまり、米軍の接収を経て、現在、基地の主は自衛隊となっている。駐屯地の正門の近くに米軍時代の門が残されているというので、歩いて向かった。正門のほど近くに水色に塗られた門の一部が残されていた。
 門前にも飲食店などが並んでいるが、ほとんどの店のシャッターは下りたままだ。一軒の店の前で、年の頃七十代後半と思しき男性が植木に水をまいていた。おそらく米軍がいた時代の記憶があることだろう。私は何か当時の話が聞けないかと話しかけてみた。
「見る影も無くなりましたが、私は基地で働く日本人の従業員向けにウドン屋をやっていました。ちょうどその頃、あの高倉健さんもその店で働いていたんですよ。東京に行く前のことでした」
 高倉健は芦屋の町から遠賀川を遡った中間市(なかまし)の出身である。父親は炭鉱の労働者を監督する管理職だった。東京の大学に進学する前、基地でアルバイトしていたと、著書『想』(集英社)に書いてあったことを思い出した。確か基地で働きながら英語を勉強したようなことが記してあったと思うが、ウドン屋とは初耳だった。もしかしたら、その店のあとに基地での仕事に就いたのかもしれない。
 どちらにしろ、当時の青少年たちにとって、ここ芦屋の町はアメリカの匂いにこってりと覆われていて、憧れの町だったのだろう。
 高倉健の服装は、アメリカの匂いを感じさせる服装も多かったように思う。映画でも米軍がベトナム戦争などで着用していたM65フィールドジャケットを羽織っていた。北九州におけるアメリカ文化の影響はここ芦屋基地が原点だった。
 私の知人に映画の美術を担当している小池直美という人物がいる。高倉健が主演を務めた『海へ See You』で装飾を担当していた。ちなみに、小池は『おくりびと』でも装飾を担当し、業界では知られた人物である。彼から高倉健の印象を聞いたことがあった。
「本当に映像で見たまんまの人物ですよ。ちゃんと誰でも名前で呼んでくれて、さんづけなんですよ。後光が差したような方なんで、こちらは健さんとは呼べず高倉さんと呼んでましたね」
『海へ』は健さんの映画の中では、あまりヒットしなかったが、一九八八(昭和六十三)年のバブル期に制作されたこともあり、ふんだんに予算が使われた映画だったという。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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