よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

タイでの残留日本兵との出会い
 火野葦平がインパール作戦に従軍した後、足を運んだのが、北ビルマと接する雲南省であった。そこでは、かつて火野が軍籍を置いた第十八師団が連合軍相手に奮戦していた。火野はビルマから雲南省に入ったものの、拉孟(らもう)や騰越(とうえつ)といった最前線へは足を踏み入れることはできず、日本へ戻った。すでに戦況は悪化し、それらの地の守備隊は何十倍もの国民党軍に包囲され、通信が途絶していたのだった。
 私は、かつてビルマやタイを巡り日本軍の足跡を訪ねたことがあった。火野が大戦中に滞在したメイミョウや復員せずにタイで暮らしていたインパール作戦の生き残りの元日本軍兵士、インパール近郊からビルマを経てタイへと続いていた「白骨街道」の終着点タイのクンユアムなど、日本軍が残していった痕跡を目にした。

「お前みたいなのは日本人じゃない。最近の若い者はどうなってんだ。帰れ」
 目の前の老人は、私に向かって突然声を荒らげた。私がタイ北部ランプーン県にある高床式の家で話を聞いている最中だった。老人の名前は藤田松吉。前日から話を聞きはじめ、続きを聞こうと再び家を訪ねた矢先のことだった。
「話を聞く礼儀もなっとらん、普通は少しばかりの金を包んでくるもんだが、お前は何も持って来んじゃないか。タダで人の話を聞こうなんて虫が良すぎるんだよ。帰れっ」
 老人は本気で、私が金を包んでこなかったことに腹を立てたのか、それともこれ以上戦争の話をしたくなかったのか、判じかねた。
 私は前日、老人の家を訪ねた際、チェンマイのスーパーマーケットで買った緑茶のパックを手土産として持ってきていた。確かにそれはタイで手に入るものであり、日本で取材する際に渡すようなものではない。海外に暮らす老人だから、これでもいいだろうという甘えが心の中にあったことは確かだ。藤田さんは、私以外にも数多の取材者を相手にしていたこともあり、私の非礼さが際立っていたということもあったのだろう。
 結局、藤田さんの怒りはおさまることがなく、追い返されてしまい、それ以上の取材は断念せざるを得なかった。
 私が藤田さんのもとを訪ねたのは、彼が戦後日本に還(かえ)らず、現地に留まり続けた残留日本兵であり、戦後、タイ国内で戦没者の遺骨収集をおこない自宅に慰霊塔を建てていたことなどに興味を持ったからだった。当時、私はフィリピンで日本兵の遺骨収集の取材をしていたこともあり、戦争の生き残り、しかも現地に残ってまで遺骨収集をしている人の思いなどを聞きたかった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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