よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 男性は、水まきの手を止めて、私の問いかけに応じてくれた。
「そうですね。当時は賑やかだったですからね」
 私は、さらに踏み込んでみた。
「パンパンの女性たちも多かったみたいですね」
 男性は意外な事実を教えてくれた。
「私は小さかったけど、このあたりでは、どこの家でも一間をパンパンに貸していたんですよ。もちろんうちにもおったんです」
 その当時、男性はまだ小学生で、父親がパンパンに部屋を貸していたのだという。これまで、日本各地の米軍基地周辺をまわり、そうした事実があることを新聞記事などから知ってはいたが、実際に部屋を貸していた人の子どもに会うのは初めてだった。当時、部屋貸しは貴重な現金収入を生んだ。山形県の神町(じんまち)では、パンパンに部屋を貸すため、茅葺き屋根をピンク色に塗り、アピールする者もいたという。パンパンが借りた部屋は、そのままホテル替わりになったので、派手な塗装を施したのだ。
「基地のゲートのところから、人力車に乗って米兵がやって来たんですよ。チョコレートをもらって、こんなうまいもんがあるのかと思ったですね。一番覚えているのは、パンパンの喧嘩です。客の取り合いで女同士が殴り合いをしているから、びっくりしたもんです」
 パンパンのいた時代、男性の家はかつて長屋だったという。今では瀟洒な二階建ての家になっていて、パンパンがそこにいたことなど想像できない。
 当時、男性は小学生だったというので、さらに聞いてみたいことがあった。
「同級生にハーフの子はいましたか? それと元パンパンだった人の話とかは聞いていませんか?」
「僕より、下にはいましたね。黒かったり、白かったりね。みんな出て行っちゃったから今はもうここにはいないんじゃないですかね。ただ、元パンパンの人はいますよ。地元の人は知ってますけど、そっとしておいてあげないといけんでしょう」
 町の空気からは、米軍の匂いは消えたが、まだまだ人々の記憶にはその頃のことがしっかりと刻まれているのだった。
 芦屋だけではなく米軍の存在というのは、様々な爪痕を北九州に残した。あとでふれるが、朝鮮戦争当時、芦屋と同じ福岡県の小倉では戦地に送られるのを恐れた米軍の兵士たちが、脱走し女性を暴行するという事件を起こしている。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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