よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

からゆきさんの故郷島原を歩く
 旅の終わりに、私と集英社の田島さんは九州の島原にいた。同じ九州の門司港から大陸へと渡った兵士たち、石炭とともにアジアへと旅立ったからゆきさんを多く生み出した土地である。島原には、からゆきさんを送り出した港として知られている口之津がある。からゆきさんとは縁の深い土地なのである。
 佐世保からレンタカーを運転して、島原半島を巡り口之津を目指した。
 佐世保を出てから一般道を一時間以上走っただろうか、右手に雲仙の迫力のある山容が目に飛び込んできた。雲仙の山裾に広がる畑に目をやると、土の色は赤茶けている。この土地が雲仙から噴き出された火山灰が積み重なってできたことを物語っていた。
 台地が削られてできた谷筋のところどころには田んぼがあるが、雲仙の裾野に広がる台地は、畑ばかりが目につく。今では馬鈴薯の産地として知られているそうだが、米が経済の中心であった江戸時代、農民たちは厳しい生活を強いられていたことが容易に察せられる。
 土地を眺めていると明治の開国とともに、ここ島原半島から、天草とならんで、多くの女たちがからゆきさんとして海を渡ったことが納得できた。
 その背景には、農村の生活の厳しさがあった。
 島原半島の赤土を見て、日本ではない異国のある土地のことが頭に浮かんだ。タイ東北部イサーン地方である。彼(か)の地はバンコクで働く多くの娼婦たちの出身地として知られ、やはり、イサーンの土地も赤土で、農村の生活は厳しく、女たちは都市に吸い寄せられるのだ。
 右手に普賢岳、左手には有明海、そして空には青空が広がっていた。島原とイサーン。二つの土地に共通するのは、空の美しさだ。ただ、雲仙の裾野から見る青空も、イサーンの農村に広がる空も、土地の歴史に思いを馳せると、俄(にわか)に哀愁が滲(にじ)む。

 島原市内に一軒の寺を訪ねた。寺の名前は弁天山大師堂。昼時だったこともあり、私は寺の近くにある中華屋でチャンポンを食べてから向かった。
 大師堂には、かつて東南アジアの各地にいたからゆきさんたちが、建設資金を献金した塔があり、今も彼女たちが寄進したその時の玉垣が残っているからである。
 弁天山という名の通り、大師堂は小高い丘の上にあった。江戸時代に普賢岳が大噴火するまで、海に浮かぶ島だったが、押し寄せた火砕流で陸地になったという言い伝えがある。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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