よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 石炭の詰め込まれた船の船倉に潜みながらアジアをはじめ世界中へ渡ったのが、からゆきさんと呼ばれた日本人娼婦たちだった。石炭の積み出し港であった門司からも当然多くのからゆきさんが海を渡った。
『門司風俗志』によれば、からゆきさの渡航先は、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、インド、ドイツ、トルコ、さらにはアフリカコンゴの密林地帯まで、世界中の至る所にその姿があったという。彼女たちは、山村や貧困地域を訪ね女性を探す女衒(ぜげん)や開港当時の門司に三十七軒あったという周旋屋の手引きによって、海外へと送られた。
 門司港を出たからゆきさんの多くは香港へ送られ、そこでセリにかけられた。香港を拠点にからゆきさんを引き取り売りさばいていた日本人の西山なる人物は、現在の価値で二十億ほどの資産を築いたという。
 周旋屋や女衒が私腹を肥やす一方で、からゆきさんたちの人生は、果てしなく暗い。日本に帰って来られた女性は稀で、そのほとんどが異郷の土となった。
 私はかつて、マレー半島からシンガポール、インドネシア、ボルネオなどからゆきさんの痕跡を訪ね歩いたが、今では日本人などほとんど訪れない町の墓地に、からゆきさんが眠っていた。先にあげた『門司風俗志』には、極めて珍しいケースだったのだろう、インドから日本に帰ってきたからゆきさんの話が掲載されていた。

 相川トナ(二十三歳)は、山口県の出身で、岡山県の紡績工場で働いていた一九〇七(明治四十)年頃、門司町の鎌田相吉とその内縁の妻に、清国の紡績工場で働けば、日本の三倍は稼ぐことができると持ちかけられ、門司へと誘われた。十数日門司に滞在した後、同じように甘言につられた女性十二人とともに石炭輸送船の船底に押し込められた。香港到着後、女郎屋に売り飛ばされ、香港からシンガポールさらにはボンベイ(現・ムンバイ)で働いた。ボンベイで現地の客との間に子供ができ出産。生まれた赤子は現地人に売り飛ばされてしまった。その後ボンベイで、トナは救助され三年ぶりに日本に帰ることができたのだった。

 帰国後トナがどのような人生を歩んだのか定かではないが、異国で体を売っていたからゆきさんは、故郷に帰っても後ろ指をさされる存在だったという。故郷での親族はもとより他人の視線というのも彼女たちが、日本に帰ることを望まず、異郷に今も多く墓が残る要因のひとつだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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