よみもの・連載

軍都と色街

第七章 北九州 島原

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 大師堂からは普賢岳が見渡せ、かなり距離が離れているように思えるが、自然災害の恐ろしさを感じずにはいられない。
 そもそもこの寺にからゆきさんが、献金をしたきっかけは、明治時代にこの寺の住職だった広田言証がインドを巡礼した際に、その途上の東南アジア各地でからゆきさんたちに出会い、施餓鬼(せがき)をしたことにあった。
 施餓鬼とは、無縁仏や生前の悪行によって死後の世界で常に飢えに苦しんでいる餓鬼に食べ物や飲み物などの供物を施す供養のことだ。
 異郷に儚い命を散らしたからゆきさんたちは、仲間の娼婦たちにしか顧みられることはない、まさに無縁仏といってもよかった。
 日本から遠く離れ、故郷からも見捨てられた境遇にあったからゆきさんたちにとって、日本人僧侶は、それこそ釈迦のような存在だったに違いない。
 寺には、からゆきさんたちの献金によって建てられた天如堂があり、そのまわりには、ラングーン、阿南、バンコクなど、彼女たちが体を売った土地の名が刻まれた玉垣があった。玉垣からは異郷に生きた女たちの思いが今もひしひしと伝わってくるのだった。
 心に深く刻まれたのは、玉垣の近くにあったガラスケースに貼られていた写真だった。それは、かつて私も訪ねたビルマの首都ヤンゴン近郊にある日本人墓地で、広田言証を囲んで手を合わせるからゆきさんたちの姿だった。モノクロ写真からでも彼女たちの着物が、粗末な物だとわかり、生活の厳しさが伝わった。一心に祈る姿は、死んだ同胞だけではなく、後を追うであろう自分たちの昇華した姿にも向けられているようにも見えた。言ってみれば、死人が死人に祈っているような鬼気迫る写真だった。
 からゆきさん、戦争、日本兵、日本という国がアジアに積み重ねた悲しみの記憶は限りなく深い。広田言証の行脚がなければ、からゆきさんの姿は誰からも顧みられることはなかっただろう。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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