よみもの・連載

軍都と色街

第十章 北関東

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 全国各地、特攻隊が飛び立った土地には、同じような話が残されているのだなと、思った。特攻というと、どうしても鹿児島やフィリピンを思い浮かべてしまうが、特攻隊員たちは、前線から離れた土地で訓練を積み、戦場へと向かった。関東地方も特攻隊ととても深い繋(つな)がりがあったのだともこの旅で知った。
 ちなみに、特攻隊は、現在のひたちなか市、前渡飛行場から飛び立った。
 前渡飛行場は水戸陸軍飛行場とも呼ばれ、一九三八(昭和十三)年にできた。もともとは、陸軍飛行学校として、教育と防空戦などの研究が中心の場所であったが、戦局の悪化とともに航空兵の養成に加え、本土防空の作戦任務を受け持つようになった。そして、米軍が本土に近づいてくると、七十余名が、レイテ湾、台湾、沖縄などへ特攻隊員として出撃し、戦死したのだった。
 亡くなった七十余名の誰かが、奈良屋町で死出の旅の前に宴を張ったのだろう。
 終戦直後は米兵相手の慰安所として、前出の青木さんによれば、戦後は遊廓が二十軒以上あって、戦前よりも賑わいをみせたという。遊廓で働いていた女性たちに関しては、このように語っている。


青木 昔の女性は、都会の人と田舎の人がはっきり分かりましたね。風俗でも似たようなもので、風俗営業をやっている人は髪型だとかで、すぐに分かったんです。素人と玄人の区別がはっきりしていたんですね。今は、全然分からなくなりました。
記者 素人、玄人の境目は、戦後もはっきりしていましたか。
青木 昭和四十年くらいまでじゃないでしょうか。三十年代はまだ、この人は水商売だとかね、どことなく分かった。今は、例えば夜に商売をしている女性でも、昼間は全然分からない。
記者 戦前から特攻のころいた、この女性たちはどこから集まってきた人たちですか。
青木 芸者をしていた人が二〜三人いました。普通の事務員をやっていた人が二〜三でしたかね。(中略)ほとんど県内出身の女性でしたね。それでね、特攻隊に指名された将校が、出撃まで何日かありますね。そんなときに、遊びにきたんだと思いますよ。女性とどうなったのかは、プライベートな問題ですからね。ただ、公然とそういうことをしたわけではないんですね。


 戦前から戦後にかけて、華やかであったという奈良屋町は、一九五八(昭和三十三)年に完全施行された売春防止法によって消えた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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