よみもの・連載

軍都と色街

第十章 北関東

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「今じゃ住宅街になっていますけど、私が嫁いで来た時には、うちみたいな旅館が四軒はあったんですよ」
「だいぶ雰囲気が変わったんですね」
「昔は、賑やかなところでしたよ。宴会などもたくさんありましたし、料理も出していましたからね」
「割烹(かっぽう)ではなかったんですか?」
「割烹ではないですね。普通の旅館で、宴会とかもやったという感じです」
「芸者さんもいたりしたんですか?」
「そうそう。芸者さんもいましたよ。この通りに芸者さんの検番もありました。もう建物は残ってないですけどね」
 芸者と客の関係性などについても聞いてみたいと思ったが、相手がなかなか答えにくいことでもあると思ったので、他の質問からしてみることにした。
「こちらの旅館も古いですよね?」
「そうですね。直し、直しして住んでいるので、戦前からでしょうね。水戸の空襲も大丈夫だったのでね」
「今は旅館はやってないんですか?」
「そうです。うちの義母が十七年前までやっていました。ここで最後まで旅館をやっていたのがうちだったんです。うちの主人は勤めに出ていたので、旅館業を継がなかったから、義母が亡くなってやめたんです。どこの旅館も経営者は年配の人ばかりでしたから、古い人がいなくなれば、終わりなんです。建物も古いですし、お客さんも来ないですし、跡を継ごうと思っても、なかなか決断できなかったと思います。駅のほうにビジネスホテルができてからは、みんなそっちにお客さんを取られてしまうでしょう。容易じゃないんですよ」
「ここの旅館はどんなお客さんが多かったんです?」
「そうですね。泊まられていたのは、有名な食品会社とか東京の会社員の方が多かったです。昔はネットもないですから、東京から水戸に出張で集金に来たんですよ。それで繁盛していました。だんだん、ファックスやネットで用件を済ませるようになってお客さんが減っていったんです。これまで三日泊まっていた人が二日になって、そのうち来なくなってしまって、これはダメだなと思ったんです。最後にはお客さんが来なくなったんですけど、義母はずっと昔からやっていたから、自分からやめるとは言いませんでした。支払いのほうが多くなって、『無理だよ』って言っても、頑として聞かなかったですね。だからうちの主人のお給料で生活していたんです。そのうち、義母の体が言うことを聞かなくなって、亡くなる直前にようやくやめたんです」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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