よみもの・連載

軍都と色街

第十章 北関東

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 宇都宮では、殺人事件の取材と並行して、毎晩色街を行脚していた。
 東口も、西口も、当時の宇都宮には淫靡な空気が漂っていた。

 事件の犯人は、宇都宮郊外の田園地帯の出身だった。付近の住民に話を聞いていくと、犯人の実家と二十メートルから三十メートルほど間隔をあけて建っている四、五軒の家は、山梨から満州の開拓団に行き、戦後この地に入植したのだと近所の人が教えてくれた。
「あそこは、みんな山梨出身なんだよ。みんな同じ向こうの苗字だし、団結しながら、頑張ってきたのによぉ。あんな事件を起こしたからたまったもんじゃねえな。何でも事件を起こしたのは、家の庭でも覚醒剤をやっていたって有名だったんだよ」
 私は、乾いた畑を挟んで、百メートルほど離れた一軒の農家の軒先で、犯人の一族と同郷の人々が暮らす地区を見ながら話を聞いていた。
 まだまだ、私は写真週刊誌に入って、二年目の新米カメラマンであったが、同僚の記者と一緒に聞き込みをしていた。近所の男性から、山梨、そして満州からこの地へ移民として入ってきたという話を聞いて、そんなことがあるのかとにわかには信じられない思いだった。
 目の前に見えている平凡な農村風景の背後に想像したこともない物語があることを知り、私は取材というものの奥深さを感じずにはいられなかった。
 実際に、山梨県からは、二千八百四十一戸五千七百六十人の開拓移民が満州に入植した。当然ながらソ連軍の参戦により、新天地での生活は瓦解した。山梨県出身の移民の中には、百四十名が集団自決するという悲劇もあった。
 終戦後、命からがら故郷へと戻るが、そこには新たに住む家も土地もなく、改めて日本各地への移住を強いられたのだった。
 犯人の一族も、満州の危地を脱出し、日本で新たな生活を送っていた。犯人の男は、再婚した女性の子供であり、いわば息子でもある男児を殺害したのだった。私は、山梨から満州へ渡り、犯人の一家と同じように戦後栃木に移住した中込敏朗さんという男性の手記を読んだ。
 それには、彼の幼い妹もジフテリアを患い、満足な治療を受けることができず、満州で亡くなったと書かれていた。
 犯人の男は、満州で一族がどのように生き抜いてきたのか、想像することもなかったのだろうか。一族で満州の話を語り継がれることもなかったのだろうか。命の重さを軽視するようなその心はどのようにして生まれたのだろうか。
 私には忘れることができない事件の一つである。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number