よみもの・連載

軍都と色街

第十章 北関東

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 よく見ると、茶飲み話などというのんびりしたものではなく、手元には札束が置かれ、何やら金の計算をしていた。あまりの堂々としたやり取りに呆気にとられた。賭博か頼母子講の金のやり取りでもしているのだろうか。
 かつて日本で体を売り、もしかしたら今もこっそりと体を売っているかもしれない彼女たちの様に、色街の名残を見たのだった。

 茨城から千葉にかけていかにタイ人が多く暮らし、この日本に根付いているかを物語る場所がある。千葉県成田市にあるワットパクナム別院という名のタイの寺である。
 別院とついていることからも、バンコクに本山がある。本山の創建はアユタヤ朝に遡るそうなので、少なくとも四百年くらいの歴史を持つ由緒ある寺だ。
 成田にあるタイ寺について知ったのは、今から二十年ほど前、横浜の黄金町で体を売っていたタイ人娼婦たちのことを取材していた時のことだ。ワラポンという名のタイ人娼婦がエイズを発症し、日本で亡くなったことがあった。
 遺体は東京の落合斎場で荼毘(だび)にふされ、その後に新宿にあるタイレストランでささやかな偲ぶ会が開かれた。それとは別に彼女の葬儀が、ワットパクナムで執り行われたとワラポンの仲間の娼婦から聞いた。
 その時、日本にもタイの寺があるのかと驚いた。寺の存在だけではなく、タイ人の信仰の深さに感嘆したのだった。
 そして、いつか訪ねたいなと思いながら、二十年近い年月が経っていた。今回、茨城を取材した時に、思いついて足を運んだのだった。
 車で寺に着いた時には、すでに陽はとっぷりと暮れていた。境内に入ると、人の姿はなかったが、ライトアップされた本堂が闇に浮かび上がっていた。
 青い瓦に、金や赤で壁が装飾された姿は、タイ現地の寺そのものだった。その姿を目にした時、ワラポンの故郷、タイで見た寺を思い出した。
 これだけ立派な寺で法要が行われたのなら、彼女の霊も成仏できただろうと思った。信仰心の薄い私も本堂に手を合わせた。
 寺には大きな駐車場があって、併設されているホールでは、僧侶を囲んで話を聞く会が催されているようだった。
 びっしりと止められている車のナンバーを見ると、土浦や成田、つくばといった千葉や茨城の車ばかりだった。多くの地域からタイ人が集まっていることがよく分かった。
 改めてライトアップされた本堂を見ると、この寺というものが、少なからず、日本で苦しい思いをして働いてきたタイ人女性たちの心の拠り所なのだなと思った。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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