よみもの・連載

軍都と色街

第十章 北関東

八木澤高明Takaaki Yagisawa

栃木から飛び立った最後の特攻隊と遊廓
 北関東での取材の最後、私は栃木県の那須に向かっていた。あのペリリュー島にいたという娼婦の一族が昔、移住したのではないかと推察している土地にである。
 栃木県那須塩原市の郊外には、かつて日本陸軍の飛行場があった。その土地は埼玉という地名である。そこは、埼玉県熊谷市の出身者が明治時代に切り開いた土地だった。
 一九三八(昭和十三)年から三年の歳月をかけて飛行場は完成し、戦時中は訓練学校が置かれ、多くの搭乗員たちが戦場へと送り込まれていった。
 その後、戦況が悪化すると、終戦の四ヶ月前には、特攻機の訓練基地となった。
 特攻隊は、終戦の月である八月にもここ那須塩原を飛び立ち、岩手や茨城の鹿島方面に出撃した。
 特攻というと、鹿児島県の鹿屋や知覧(ちらん)など九州地方の基地を思い浮かべてしまうが、関東地方の那須からも特攻隊が飛び立ったことは、この土地を訪ねて初めて知った。
 ここ那須塩原の飛行場から三キロほど離れた場所に黒磯遊廓があった。
 戦時中、陸軍の連隊が駐屯していた兵営の周辺には、私娼窟や遊廓がつきものであった。
 黒磯の遊廓は兵営ができるより遥か前の明治時代に作られているので、飛行場の航空兵のための遊廓ではない。
 以前、黒磯の遊廓を訪ねたことがあった。
 訪ねたきっかけは、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで『全国遊郭案内』を眺めていた時に、栃木県の黒磯にも遊廓があったと記されていたからだった。色街とは縁の無さそうな、那須高原の町に遊廓があったとは、意外な気がしたのだ。どのような形で色街ができたのかこの目で確かめてみたかった。
 黒磯遊郭はJR黒磯駅西口を出て、目抜き通りを歩いて五分ほどの場所にあった。かつては警察署があってその裏が遊郭だったが、今では警察署は移転していて、駐車場となっている。その後遊廓も消えたが、新地という地名だけが残っていた。
 遊郭のあった場所は、そのほとんどが住宅街になっていたが、微かに色街の残り香を漂わせているスナックが建ち並ぶ通りがあった。
 そこに韓国料理屋があったので、食事を取ってから、遊廓の残滓(ざんし)ともいえるスナック街を歩いた。その一角だけは、道が舗装されておらず、どことなく鼻水を垂らした子どもたちが、路地から顔を出すようなひと昔前の昭和の風情を感じさせた。
 路地の中を歩いていくと、遊郭時代の雰囲気を残している木造建築があった。誰も住んでいる雰囲気はなく、その骸(むくろ)からは華やかなりし頃の匂いが漂ってきたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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