よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 神崎清の『売春』によれば、当時、山中湖周辺には米兵目当てのパンパンが五百人以上いて、週末ともなると、野外で米兵と乳繰り合う者までいたという。それを見学に行く小学生も多く、急遽(きゅうきょ)学校は日曜日を休みにせず月曜日を休みにする事態となった。
 山中湖湖畔の中野村(現・山中湖村)の様子について、このように記している。

“二四〇戸のうち一二五戸が、パンパンに部屋を貸しているというから、全村の約五〇パーセント強が、性的サービス施設になっているというわけだ。県道の一本道に面した部落で、農家のことであるから、塀や門がない。部屋をかりたパンパンが縁に腰をかけたまま、嬌声を発して道をとおる兵隊にパンをかける。昔の宿場女郎もかくやと思うばかりである”

 文章からは、当時の情景が浮かび上がってきて、驚きを覚えずにはいられない。さらに村の様子について、現代の常識からは信じがたいことが記されていた。

“村長や村会議員や小学校の教師までが、パンパンに部屋を開放している。村長は「兵隊をもてなしてくれ、ということであったから」と、家にパンパンをおかなければ、まるで占領目的に違反するかのような口ぶりであった。忠告をうけた教師は、「村長がやめたら、自分もやめる」という回答をした。村の空気の腐敗は、今やまったくおおいがたいものがある”

 今の価値観で、当時を推し量ることはできないが、戦後直後の混乱期ということもあり、比較的安定した生活を送ることができたはずの公務員ですら、目の前に転がっている現金の魅力には抗(あらが)うことができなかったと言うべきか。
 神崎の著作を読んで、当時の山中湖周辺を歩いてみたいなという思いに駆られずにはいられなかった。ただ、どう転んでもそんなことは不可能なわけで、少しでも往時のことを知る人物や痕跡などから、思いを馳(は)せることしかできない。

 著作に取り上げられている村の場所は、湖畔沿いを走る国道一三八号線から、一本入った道路沿いの住宅街である。近くには、著作にも出てくる山中小学校がある。
 かつての遺構や空気は残されていないかと探してみたが、どこにも色街を偲ばせるものは残っていない。観光地の裏通りにある閑静な住宅街である。唯一の共通点は、家と家を隔てる塀が今もないということである。
 神崎の著作に描かれている色街が、果たして本当にこの場所にあったのかという気になってくる。こういう時は、この地に暮らす人に話を聞くしかない。
 色街跡を訪ねたのは、朝早い時間だったこともあり、呼び鈴を鳴らすのは、まずい時間だった。誰か高齢の方が現れるのを通りで待つことにした。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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