よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 男性は、村と米軍との経済的な繋がりについても話してくれた。
「私たちは米兵のことを悪くは言えないんですよ。ここの村は貧しい村だったから、米兵が来たおかげで潤った面があったんです。米軍キャンプのゴミを回収していた人なんて、ゴミの中にお札やら金目のものが溢(あふ)れていて、それでひと財産作ったんですよ。米兵相手に商売をしていたのはパンパンやビアホール、貸し間だけじゃなくて、トラックを使って送迎をする人もいましたね。その人は林業をやっていたからトラックを持っていたんです。それに立ち乗りで乗れるだけ乗せてね。今みたいに行儀よく定員だなんだってないし、運賃なんてあってないようなものだから、『金よこせ』って言えば、その時々でポケットに入っているぐちゃぐちゃなドルをくれるわけです。一ドル三百六十円の時代だから、凄い稼ぎでした」
 その話を聞いて、米兵を利用してしたたかに生きる山中湖周辺の人々の息遣いが聞こえてくるようだった。売春は倫理的には、糾弾される対象であったが、戦後の混乱期を生き抜くうえでは、致し方のない側面もあったのではないか。そして、娼婦たちだけではなく、村の人々も米兵たちを飯の種にするだけでなく、立ち直りの踏み台にしていた。
「トラックで米兵たちの送迎をしていた人はですね。今度は、養豚をやりはじめたんです。今は餌を買ったりしますけど、昔は饐(す)えた飯を食わせた。いわゆる残飯です。米軍基地から出た残飯を食わしていたんです。さっき言った、ゴミからひと財産作ったというのは、養豚をやってた人なんですよ。あとは、砲弾を撃って演習をしているから、演習場に入っての鉄屑拾いですね。
 戦前、戦中の日本軍は演習しても律儀に同じ場所に大砲の弾を撃ち込みましたが、米軍はいい加減っていうのかな、四方八方に撃つわけですよ。富士山の五合目付近にまで飛んでいったそうです。そんでもって撃つ数が全然違うでしょう。鉄砲の弾っていうのは、先っちょが真鍮(しんちゅう)になっていて、その後ろは鉄でしょう。真鍮のほうが価値があった。真鍮を取るのには、着弾地点の辺りで待っていないといけない。弾が破裂すると、真鍮の部分は地面に潜るんです。それを一斉に走って行って掻き出すんです。不発弾があったりして危ないんだけども、金の魅力に取り憑かれているから、我先に行くんですね。私も子供でしたけど、日当で三百円から五百円もらいましたよ。この辺りじゃ、一、二軒をのぞいてみんな鉄屑拾いに行きました」
 男性が鉄屑を拾いに行ったのは、一九五〇年前後のことだ。富士山麓ではないが、戦後直後大阪砲兵工廠(こうしょう)の鉄屑拾いの人々を描いた、開高健の小説『日本三文オペラ』が名作として知られているが、それは珍しい光景ではなく、実弾演習を行っていた米軍基地の周辺では、鉄屑を拾う人々の姿は日常的な光景だったことが窺(うかが)えた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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