よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 果たして、米軍のいた時代のことを知っている人はいるのだろうか。とにかく人に当たらなければ、はじまらない。
 私は、駅前にあるタバコ屋に向かった。聞き込みは、通行人がほとんど見当たらない場合は、古くから営業している地元の個人商店に入るのが一番だ。
 小ぢんまりとした店内には、人の姿がなかった。
「すいません」
 と声を掛けると、店の奥にある居住スペースから、「はーい」という女性の声が聞こえてきた。しばらくして、現れた女性の年齢は七十代といったところで、米軍がいた時代のことを少しは知っているにちがいないと思った。
 名刺を渡し、東京から米軍時代のことを取材に来た者だと、告げると、特に嫌な顔も見せず口を開いてくれた。
「私は、他の土地から嫁いできたので、米兵がいた頃を直接見たわけではないんですけどね」
 そう前置きしてから、話してくれた。
「昔は、米兵たちで賑わっていたと聞いてますよ。亡くなった主人が子どもの頃には、学校に遅刻しそうになると、知り合いになった米兵にジープで学校まで送ってもらったこともあったそうです」
「この辺りはどんな雰囲気だったんですかね?」
「通りには、バーがずらりと並んでいて、米兵を相手にする女性も多くいたそうです。その当時、うちは雑貨も売っていて、何を置いていても売れて、儲かって仕方なかったと、先代が言っておりました。金を数えるのが嫌になるぐらい儲かったそうです」
 米兵たちが落としていくドルは、基地周辺に計り知れない恩恵をもたらした。確か、かつて訪ねた佐世保だったと思うが、やはり米兵向けの色街で雑貨屋を営んでいたという人に話を聞いたことがあった。米兵たちは、日本土産に箒(ほうき)から、食器まで、店に並べていた日用品なども次から次へと買っていったと言っていた。佐世保で話を聞いた時には、そんなことがあるのか、いくら何でも大袈裟すぎないかと、思っていたが、やはり基地周辺の町では同じようなことがあったのだ。
 それにしても、金を数えるのが嫌になるぐらいとは、何とも羨ましい話である。ただこの話にはオチがあった。
「先代は、すごい稼いだけど、店はお義母(かあ)さんにまかせっきりで、その日稼いだお金を片手に女性のいる店に入り浸っていたそうです。はっきりしたことは、聞いてませんが、かなり散財したそうです。お義母さんが苦々しい顔で話していたことを覚えています」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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