よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 昭和二十年代から三十年代、富士山麓では、電気も水道もない開拓集落で暮らす人々もいれば、米兵を迎え入れ、色街と化した集落もあった。両者は水と油のように相容(あいい)れない存在にも見えるが、実際には経済的な貧しさという根っこでは繋がっていた。基地が置かれた場所がずれていれば、上九一色村にも原色の村が出現していたに違いない。
 原色の村とはならず、その後、開拓民の人々の努力により酪農で現金収入が得られる道が開けると、村の生活は経済的にも安定した。
 やがて時代が下ると、村人の中には、生活に便利な町へと、村を出る人もポツポツと現れはじめた。空き地となった土地を買い、村に入り込んできたのが、オウム真理教だったのだ。
 上九一色村というのは、つくづく日本社会の片隅に生きる人々と縁が深い村だなと思う。戦後、満州から引き揚げて来た人々を受け入れた。そして、この村だけではなく、日本社会全体が戦後の焼け野原を経て、物質的な豊かさを享受するようになった。その一方で、がむしゃらな経済成長は、精神的な豊かさを置き去りにした。それゆえに心に空虚さをかかえた多くの若者を生み出した。
 オウム真理教の名前が世の中に広まり出した頃、私はちょうど高校生だった。オウム真理教の影響をもろに受けたのは、私よりひと足先に社会に出ていた世代だった。
 ちょうどその世代が青春を迎えた頃、為替レートが円高となったことや、バイトなどで現金を手軽に稼げるようになったことから、海外旅行はぐっと身近なものとなった。そして、バックパックひとつで海外に出て、自分探しの旅をする者が急激に増えた。いわゆるバックパッカーと呼ばれた旅人たちが、主に目指したのがアジアであり、インドやネパールなどの南アジアだった。
 私も、数ヶ月にわたって何度もインドやネパール、チベットなどを旅した。すべての旅人が同じ考えを持っていたわけではないだろうが、多くがアジア各地に行くことによって、日本という国とは、そして自分自身とは何なのか、自問自答しながら歩いていたように思う。
 私の友人にも大学卒業を控えた春休みにインドを旅して、帰国後銀行に就職したものの、日本での生活に疑問を抱くようになり、二ヶ月ほどで辞めた者もいた。
 バックパッカーたちは、現地の宗教や、どこか混沌とした日常に魅了され、日本の生活が極めて味気ないものに思えてしまったのだ。
 そうした若者たちの心の隙間に入り込んできたのが、インドの宗教であるヒンドゥー教をベースにした教義を持っていたオウム真理教であった。
 オウム真理教が一部の若者に支持されたのは、偶然ではなく、必然であったように思う。オウム真理教の教義は、ヒンドゥー教やチベット仏教がベースにある。その根本は、カルマと輪廻転生(りんねてんせい)である。その信仰は、特別なものではなく、今もインドやネパール、タイなどでは普通に見られる信仰だ。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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