よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 彼女の葬儀が行われるという会場にも足を運んだ。そこは小さなセレモニーホールで、二十畳ほどの部屋は、タングステンライトで照らされ、遺影とともに黒地に金の装飾が施された棺が置かれていた。棺の傍には黒人女性がひとり椅子に座っていた。
 亡くなった女性は、祖国ベトナムとは縁が切れてしまったのだろうか、セレモニーホールの侘(わび)しい風景が、生前の彼女の孤独な生き様を表しているように思えてならなかった。
 戦地のベトナムにおいて、現地の女性が米兵と出会う場所といえば、短絡的な考え方なのかもしれないが、米兵が出入りする歓楽街である。彼女がベトナムで娼婦だったという情報までは掴めなかったが、戦争が彼女と夫を巡り合わせたことは間違いない。そして、兵士だったという女性の夫も、彼らが暮らしたアパートを見る限り、経済的に豊かな生活を享受していたようには思えなかった。私はほんの数日、ブルックリンに通っただけであり、深く見聞きしたわけではなかったが、アメリカ社会の底辺に暮らす人々の姿を垣間見たのだった。

韓国で米兵相手に体を売った女性
 今回取材した紀子は、米軍基地のある座間で、黒人の兵士と交流をもったが、彼女の話を聞きながら、米軍はベトナムだけではなく、アジア各地に駐留しているので、その基地は現地の女性たちとの出会いの場にもなったのだな、と思わずにはいられなかった。
 タイのパタヤやバンコクにあるゴーゴーバーは、ベトナム戦争時代に休暇で訪れた米兵たちが、ひとときの安らぎを得た場所であった。そして、日本でも横須賀をはじめ、現在も米軍基地のある土地には、ベトナム戦争時代には色街があった。
 米軍基地のある韓国でも色街跡を巡ったが、そこにもやはり思い出に残っている女性がいる。
 その女性は、ソウルから北に一時間ほどの場所にあるキャンプスタンレーに暮らしていた。基地のフェンスのまわりには、朝鮮戦争直後から、ナイトクラブなどが建ちはじめ、韓国人女性たちが、米兵相手に体を売った場所でもあった。日本では、横須賀のドブ板や佐世保など、基地周辺の飲食店街は、基地関係者だけではなく、観光客の姿も目につき、今は観光地となっているが、韓国の基地周辺の街には、観光客の姿はなかった。朝鮮戦争の平和条約は締結されておらず、今も準戦時下ということもあるのだろうか、緊張感に包まれているのだった。
 話をしてくれた、その女性は一九七〇年代半ばに米兵相手に体を売っていた娼婦だった。時代は、ちょうどベトナム戦争が終結した頃だったが、混沌とした時代だった。
「ここから帰ることはできないって言われて、何をやるかもわからなかったし、体の大きいアメリカ人は怖かったよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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