よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 それならば、教団に頼らず個人が日常で実践、意識すればいいだけの話なのだが、日本では宗教に関する話題は学校であれ、家庭であれほとんど無い、といってもいい。宗教に対する無垢(むく)さが、オウム真理教に染まってしまった理由である。
 上九一色村には、そうした若者たちが集った。村の人々からしてみれば、迷惑以外のなにものでもないのだが、見方を変えれば、社会に生きる場所がない者たちのシェルターでもあった。
 富士の麓に広がる村は、未だに米も取れず、厳しい風土の中にある。一方で、日本社会における隠れ里のような役割を果たしてきたのだった。
 そう考えてみると、富士の裾野に集まったパンパンたちも、社会の日陰に生きた者たちだった。日陰に生きる者たちの歴史は、連綿と続いているのだ。

御殿場の色街跡を歩く
 富士山麓には、まだまだ色街跡がある。上九一色村のあと向かったのは、御殿場である。自然環境に恵まれているだけではなくアウトレットなどの商業施設もあり、人気の観光地として知られている。そんな御殿場に色街があったようなイメージを持つ人は、ほとんどいないだろう。私も富士山周辺の取材をはじめるまで、まったく知らなかった。
 御殿場周辺には、日本軍の時代から、富士山の広大な裾野を利用した軍事演習場や基地が多く存在していた。
 今までこの連載で触れてきたように、軍隊と色街は切っても切れない関係にある。日本が戦争に敗れると、御殿場周辺の基地は、米軍に接収された。そして、御殿場は軍隊との関係だけではなく、富士山を訪れる登山客や参詣者たちも色街に足を運んだ。今では富士山の五合目までは、車道が通じているが、かつては御殿場駅から歩いて、富士山に向かったのである。今から二十年ほど前に亡くなった、明治生まれの祖父は、戦前富士山に登った時、やはり御殿場駅から歩いて登ったと言っていた。健脚だった祖父は、御殿場駅から富士山頂を一日で往復したという。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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