よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 朝鮮戦争以降、東西冷戦の最前線であった朝鮮半島の米軍基地周辺の色街は、基地村と呼ばれた。基地村は、米兵や韓国軍兵士たちの性欲処理の場として韓国政府の主導で作られていった。基地村で働く娼婦たちは、洋公主(ヤンコンジュ)と呼ばれ、兵士たちを慰安する一方で、朝鮮戦争後、経済発展の途上にあった韓国に貴重な外貨をもたらす存在でもあった。その構造は、明治時代に海を渡り、異国の男性たちに体を売りながら、日本に外貨を送金し続けたからゆきさんとそっくりだ。
 韓国政府は朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の時代に売春を禁止する淪落行為等防止法を一九六一年に施行しているが、その翌年には淪落行為等防止法が及ばない米軍基地周辺など百四ヶ所を国内に定めた。それは、敗戦後の日本の赤線と同じように売春地域を指定したものだった。
 一九六四年には米軍が基地村に落としていく外貨は韓国の外貨獲得額の十パーセントを占めていたこともあり、基地村は韓国政府にとって、外貨を生み出す玉手箱であり、売春を禁止することはできなかったのである。やはりその姿も、戦後直後に進駐軍向けの慰安施設を国主導で建設した日本政府の姿と重なって見える。
 一九七七年には、朴正煕大統領によって、基地村女性浄化対策文書というものが出されている。基地村をなくすための文書と錯覚してしまうが、まったくの逆で、全国六十二ヶ所、計九千九百三十五人、基地村に暮らす女性たちの性病予防、生活環境の整備、生活用水の確保など、売春に伴うリスクを減らすための文書で、韓国政府が基地村の娼婦たちを管理していたことを裏づけるものだ。韓国政府は基地村周辺にモンキー・ハウスという性病予防施設を作り、月に一回の検診を義務づけ、もし病気が発覚したら、性病が治るまでその病院に女性たちを隔離したのだった。
 私が女性に会ったのは、二〇一五(平成二十七)年三月のことだった。キャンプスタンレーの近くにあるトレバンという女性支援団体の施設で話を聞いた。頭上を米軍のヘリコプターが爆音を轟かせてひっきりなしに飛んでいた。彼女は、キャンプから歩いて数分の場所にある小さな平屋に暮らしていた。そこはかつて娼婦たちが体を売った場所だった。売春から足を洗って、四十年以上の年月が過ぎているのだが、基地村にいたということは、韓国社会の中では大きなハンデとなるのだろう。そこから抜け出せないでいるのだった。
「昔はどの家にも娼婦がいて、夕方になると家の入り口に立って、米兵たちを招き入れていたんだよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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