よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 二〇〇一(平成十三)年に起きたアメリカ同時多発テロ以降、ゲートからの出入りは厳重になったが、それ以前は、米兵が一緒であれば、チェックらしいチェックもなく基地内に入ることができたという。
 私の故郷である横浜にも米軍基地とともにかつて、横須賀にある米軍基地の米兵たちが暮らす住宅があった。米軍住宅のゲートにはアメリカ同時多発テロ以降、ライフル銃を持った門番が立つようになったが、それ以前はチェックもなくほぼ自由に立ち入ることができた。私自身も今から四十年近く前の中学生時代、横浜の港で釣りをした帰りに、家と家の間にはフェンスがなく庭には青々とした芝生が敷き詰められていた米軍住宅に間違えて入ってしまったことがあった。米軍住宅の作りは、日本の住宅街とは違い、家も大きく庭も広々としていて、アメリカをそのままに日本に再現したようなものだった。
「座間ではゲート4と呼ばれている出入り口があって、そこで待っていて、歩いてくる米兵にこちらから声を掛けるんです」
 その話を聞いて、てっきり米兵のほうから女性たちに声を掛けるものだと思っていたが、実際は逆だったと知り驚いた。
「最初に行った時は、高校生だったので、最年少でした。年齢は二十代の人が多かったんですけど、基地に入ることができるのは、二十歳以上という決まりがあったので、本当は入れないんです」
「どうやって入ったんですか?」
「IDカードを勝手に作って、それを見せて入っていたんです。細かくチェックなんかしないので、偽造したものでも通用しましたね」
 紀子が高校生だったのは、今から三十年ほど前のことだ。アメリカをはじめとする西側とソ連が対峙した東西冷戦が終わりつつあったとはいえ、何とも大らかな時代だったのだなと思う。中国や北朝鮮との関係が緊張感を増している今日の情勢からは考えられない話である。北朝鮮のミサイルが頻繁に発射される今日とは違うのどかだった時代。私は、平和ボケとも呼ばれていた時代がいつまでも続くものだと呑気(のんき)に思っていたが、やはりアメリカ同時多発テロ以降、世界情勢は大きな転換期を迎え、世界のどこかで常に大規模な戦争が起きている。日本も他人事ではなくなってしまった。

 私が気になったのは、ゲート前で米兵たちを待っていた女性たちが、人種を気にしていたかということだった。戦後直後、米兵相手にパンパンたちが春を売っていた時代から、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、娼婦たちは、黒人に春を売る女性はブラパン、白人相手の女性はシロパンと呼ばれ、相手にする人種が娼婦の好みによって分かれていた。そして、かつて取材した沖縄や横須賀でも黒人の兵士と白人の兵士たちは、それぞれ遊ぶ場所が違っていて、基地から離れると、交わりがないという印象を受けた。米軍では、ベトナム戦争までは、黒人と白人は同じ部隊で戦うことはなかった。軍隊において人種の壁は歴然と存在していた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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