よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 ひとつ取り上げておかないといけないのが、演習場で鉄屑を拾っていた女性が射殺されたジラード事件である。
 一九五七(昭和三十二)年一月、当時米軍の演習場だった群馬県相馬が原で、薬莢(やっきょう)拾いをしていた農家の主婦が、ジラード三等特技兵に射殺された。米軍は、基地内で薬莢を拾っていた主婦に警告のため発砲したと説明したが、日本側の捜査では、ジラード三等特技兵はわざわざ薬莢をばらまき、主婦をおびきよせたうえで狙い撃ちしたと発表し、事件に対する双方の見解は大きく異なっていた。
 当時の記事を再録している読売オンラインによれば、米側では「ジラードを日本から救え」という声がわき起こったが、結局、日本の世論を考慮して、「裁判権不行使」の特例措置を取り、日本の検察が起訴。前橋地裁は懲役三年、執行猶予四年という軽い判決で終わらせ、ジラード三等特技兵は日本で結婚した妻とともに帰国してしまった。
 この事件から見えるものは、米軍が犯した罪を日本の法律では裁くことができない、今日の日本と変わらぬ姿である。
 戦後から連綿と続く、不条理な日米の関係は米軍基地がこのままの形で存在する限り、無くなることはないだろう。
 米軍基地や米兵を身近に見ていた男性は、不条理を感じることはなかったのだろうか。
「今も米軍基地のある沖縄はいろんな問題があるみたいだけど、この場所は米軍がいたおかげで、間違いなく良くなりましたよ。ここは県の外れで、今では観光で多くの人が来てくれて、潤っているけれども、この山中って場所は、冬は北海道並みの寒さで今でもマイナス十五度から二十度、軒先からツララが垂れてくる。それと、富士山の火山灰で土地も悪いんです。農作物を作るには不向きな場所で、ここからちょっと行ったところに梨ケ原という土地があるんですが、何にも取れないから、無しが原なんです」
 ちなみに、梨ケ原は、米軍キャンプのゲートに隣接していることから戦後米軍相手に春を売るパンパンたちが多く暮らしていた。
「ここは、梨ケ原よりはましだけども、大豆と芋ぐらいで、米は取れない。食料を買うために炭を焼いたりしたんです。炭を運ぶのには、馬を使っていたんで、どの家にも馬小屋がありました。寂しいところだったんだけど、戦前に富士急が来て、ゴルフ場を作ったりしたから、別荘地ができたりして、少しずつ知られるようにはなっていきました。それから、戦後になって米軍が来て、演習場として利用して、それを自衛隊が引き継いで、町にも助成金がおりるわけですから、米軍が来てくれてよかったと私は思いますね」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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