よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 男性は、最後にこうつぶやいた。
「今、米兵の話をしたけれど、こんな話を知っているのは、戦前に生まれた人だけだからね。他行っても通じないよね。ビアホールがあって、米兵がいて、パン助を奪い合って喧嘩していたり、殺し合いもあったりね」
 色街の匂いをとどめない村で聞く話は、たかが半世紀ほど前のことなのだが、遥か昔の話を聞いているようだった。

 山中湖に米軍の色街ができたのは、明治時代に日本陸軍の演習場となったのが、きっかけだった。そして大東亜戦争で日本が敗れ、米軍が進駐してくると、東富士演習場は接収され海兵隊のキャンプ富士ができた。そのキャンプ富士の米兵たち相手の色街として開けたのが、山中湖だったのだ。
 もともと米兵向けの色街は御殿場の旧玉穂村や旧原里村にあったのだが、米軍司令官によりオフリミットになったことで、山中湖へと移ってきた。
 私は山中湖からさらに、富士山の周辺にあった色街を行脚してみることにした。向かったのは、山中湖で話を聞いた男性が教えてくれた梨ケ原だった。
 私は取材するに当たって、手元に一冊の雑誌を取り寄せた。昭和二十八年に発行された「アサヒグラフ」である。富士演習地界隈というタイトルがつけられている。記事には、山中湖や御殿場などとともに梨ケ原も取り上げられていた。
 記事によれば、梨ケ原は戦後満州から引き揚げてきた開拓団が入るまで、荒涼たる原野で、山中湖と同じく米は育たず、収穫できるのは雑穀だけだった。四十四戸が入植し、何とか農家として生きていこうと奮闘したものの、耕した農地は、入植してから数年で米軍の演習場として接収されてしまったのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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