よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 紀子が遊んだ座間ではどうだったのだろうか。
「ゲートに集まる女の子は、黒人か白人かで分かれていましたよ。私は黒人とばかり遊んでいましたね。白人はカントリバーに集まっていて、何となく田舎くさい雰囲気でしたね。黒人と遊んでいる女の子は、自分たちのことをブラパンと呼んでいたんですよ」
 私は彼女の口から出た、ブラパンという言葉に思わずはっとなった。紀子は、もちろん娼婦ではなく、米兵たちと恋愛を楽しんでいただけの存在だが、戦後直後のパンパンたちが使った名称が、時代を超えて生きていたのだ。
 ブラパンという言葉の意味を知っているか尋ねてみると、彼女は「知らない」と言った。ただ、まわりの女性たちが使っていたので、その語源など気にせず使っていたという。
 戦後直後から使われている言葉だと伝えたら、「へぇー。そうなんですか」と驚いていた。他人からしてみれば、どうでもいいことかもしれないが、米兵と縁を持っていた女性から女性へ、何十年とかけて言葉が紡がれていたことに、感動すら覚えた。
 今私が何気なく話している言葉のひとつひとつも、過去から伝わり、未来へと繋がっていく、そこには人が介在しているわけで、その繋がりが絶たれたら、言葉は命を失う。言葉というものが、生き物であるということを実感した。

 紀子によれば、黒人のほうがゲート前の女性たちに人気があったという。
「見た目は怖そうに見えるんですけど、白人に比べて、黒人のほうが紳士的なんです。さり気なくプレゼントをくれたり、優しいんですよね。それと、彼らの聞く音楽はボビー・ブラウンやM.C.ハマー、ダボダボの服を着ていて、ざっくばらんな雰囲気でした。私もヒップホップや黒人のカルチャーが好きだったので、白人の男性とは遊んだことはなかったですね」
 彼女が好きだったというM.C.ハマーは、九〇年代には日本のコメディアンにも真似をする者が現れるなど米兵だけでなく、日本でも一般に広く知られた存在だった。私も、実際のM.C.ハマーはよく知らなかったが、真似をするコメディアンの姿はよくテレビで見た。
 黒人の文化が、日本社会に広まってきた時代ということも紀子が黒人に惹かれた背景にはあったのかもしれない。黒人文化が広く認知されはじめたのは、彼女があげたM.C.ハマーの存在が大きいだろう。
 ちなみにM.C.ハマーは、一九六二年にカリフォルニア州のオークランドに生まれた。父親はギャンブル好きで家庭を省みず、母親の手で育てられた。兄弟は八人で貧しい少年時代を過ごした。裕福とはいえない生活環境の中で、彼が最初に打ち込んだのが野球だった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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