よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 貧困から抜け出すために米兵に身を委ねたパンパンと呼ばれた女性たちも、いなくなった。一方で、日本が経済的な豊かさを得た、昭和五十年代に入ると米兵を恋愛の対象とする女性たちが基地の周辺に現れはじめたのだった。
 今から、三十年ほど前、実際に私も目にしたが、神奈川県の横須賀の米軍基地のゲート周辺には、米兵との出会いを求める女性たちが、数多く屯(たむろ)していた。初めて彼女たちの姿を目にした時、私と同年代の彼女たちが何をしているのかまったくわからなかった。
 戦後直後、経済的な苦しさから抜け出るため多くの女性が米兵に身を委ねた頃から、大きく時代は変わった。果たして、彼女たちは米兵たちにどんな思いを抱いていたのか。そうした女性に話を聞いてみたいと思った。私は、一九七二(昭和四十七)年の生まれだが、取材に応じてくれたのは、同い年の女性だった。彼女を紹介してくれたのは、友人のライターだった。
 紀子と名乗った女性は現在都内に暮らしていた。住まいはかつて足繁く通ったという神奈川県のキャンプ座間からは、車で三十分ほどの場所だった。私たちは彼女が暮らしている街にあるハンバーガー店で会った。すでに結婚し、子供もいて、米軍基地には出入りしていないが、今もかつて米兵と食べたハンバーガーが好物ということなので、ハンバーガーを食べながら話を聞くことにしたのだった。
 タイル張りの外観が、洒落た雰囲気を醸し出し、人気がある店なのだろう。午後一時をまわっていたが、店内は満席だった。
 ハンバーガーといえば、昭和四十年代生まれの団塊ジュニアにとって、一番馴染みがあるのはマクドナルドだろう。十代の食べ盛りの頃には、腹いっぱいマクドナルドのハンバーガーを食べたいなと思ったものだった。そんなハンバーガーのルーツは、アメリカにある。一九〇四年のセントルイス万国博覧会において、会場で売られたのがはじまりだという。そこから全米中に広がり、世界中で食べられるようになった。日本でハンバーガーが最初に広まったのは、戦後日本に進駐した米軍によってだった。基地周辺の飲食店で盛んに作られたのだった。
 そう考えると、ハンバーガーというのは、米兵のいた色街を象徴する食べ物でもあるのだなと思った。
 しばらくして、ポテトが添えられたハンバーガーがテーブルに運ばれてきた。ハンバーガーを頬張りながら話を聞きはじめた。
 そもそも、紀子が米軍基地に出入りするきっかけは、何だったのだろうか。
「高校の同級生のお姉さんが、米兵と結婚していて、同級生が座間や厚木に詳しかったんです。それで誘われて行ったのが初めてだったんです。土曜日に学校が終わってから行ったのが、最初でした。同級生との出会いがなければ、基地の存在は知っていましたけど、行くこともなかった場所だと思います」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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