よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 生業を失った梨ケ原の人々に残されていたのは、この土地を出て行くか、米兵相手に商売をするかだった。入植した四十四戸のうち四十二戸がパンパンに部屋を貸したという。山中湖の集落では、多くの家が四部屋あるうちの三部屋を貸したと聞いたが、ここ梨ケ原は土地と家を接収されたこともあり、六畳一間のバラックに人々は暮らしていた。その六畳の座敷を三間に区切り、二間を貸したという。雑誌には、バラックと区切られた部屋に座るパンパンの写真も掲載されていた。
 家主とパンパンの部屋は、薄い板一枚で区切られているだけで、米兵とパンパンの生々しいやりとりも筒抜けだっただろう。
 梨ケ原の様子については、最初に触れた神崎清の『売春』でも記されていた。それによると粗末な掘っ立て小屋にもかかわらず、パンパンたちに部屋を貸している様は、富士山周辺の米軍キャンプ周辺で最も悲惨だったという。満州や朝鮮から引き揚げてきた開拓民の集落だったにもかかわらず、売春に染まってしまい、その面影はどこにもないとも記されていた。
 富士山周辺で米兵相手の売春が商売になるとわかると、東京の立川や町田、横浜、横須賀方面から専門の業者がパンパンと客引きを連れて乗り込んできたという。働いていた女たちの実態についても記している。

“パンパンハウスではたらく女の相場は、ショートタイムが七〇〇円から一〇〇〇円、オールナイトが一五〇〇円から三〇〇〇円で、かせぎ高も二万円から五万円までの段階があるが、平均三万円というところらしい。玉割は四分六分で、三万円のうち一万八〇〇〇円がハウスの主人のふところにはいり、女の手には一万二〇〇〇円しかのこらない。ハウスの女は、月一〇〇〇円の遊興飲食税(山梨県)と一〇〇円の接客税(中野村)のほかに二〇〇円の白百合会費を払い借金や病気の治療費などをひかれると、さいごは手たたきになってしまう。(中略)ひどい搾取ぶりだけれども、ここの特殊性として、演習にくる部隊と部隊の交替のあいだに、一週間あるいは半月のブランクができ無収入の状態がつづくことがあるため、搾取を承知のうえで、ハウスの主人に依存せざるをえなくなるのである”

 一九四〇年代から五〇年代にかけての物価は、現在の約十分の一ほどだから、書かれている金額を十倍すれば、パンパンたちの手取りの大体の金額がわかる。部隊の交替があり、常時兵隊たちがやって来ないことがあるのを考えれば、不安定な状態だったことがよくわかる。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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