よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

“御殿場周辺にまとまった数でパンパンたちが見られるようになったのは朝鮮戦争開始の頃である。印野村婦人会副会長だった池谷はつは次のように述べている。「さながらチンドン屋のような色彩の洋服を身につけ、人前もかまわず大声でしゃべり笑い狂う女の姿を、バスの中で見受けるようになったのは昭和二五年の五月頃からで部落のあちこちでパンパンを置くようになった。(中略)その年の九月頃には戸数三百四、五十戸の村に二一軒もの宿屋が始まった。」
 それまでの御殿場は町の中心部に戦前からの料亭を二軒残すのみでそれも不景気のため廃業の準備をしているという記事が一九五〇年二月の『静岡新聞』に載っている。つまり農業主体であった御殿場に米軍が進駐し、この地域が朝鮮戦争を契機として急激に米軍相手の歓楽街に変化したのである。三キャンプと御殿場駅周辺の集娼地区には「三日半に一軒のスピード」で横文字の看板の特殊飲食店などの新築があったという。当時原里小学校に勤めていた女性は、「一年後に家庭訪問に行くと、様変わりしていて家が分からないほどだった」と語る”

 御殿場町役場の調査によれば、百三十四軒の民家に三百四十六人の娼婦がいたという。年齢は十八歳から二十五歳の女性が八十七%を占めていた。出身地に関しては、東京や神奈川など、近県の女性たちが少なくなかったが、中には、広島や長崎の女性もいた。彼女たちは、原爆によって身寄りを無くし、体を売ることを余儀なくされたという。
 御殿場周辺では、パンパンが流入したことにより、一年間で米兵が落としていった現金は、十数億円にのぼったという。
 その金額を知り、私はかつて訪ねた山形県東根市神町(じんまち)のことを思い出した。神町には今も自衛隊の駐屯地があるが、そこにはかつて米兵が進駐し、街中には米兵とパンパンが溢れたと当時を知る男性が教えてくれたのだった。その男性は、元バンドマンで、米兵に人気があったバーでも演奏していた。そのバーはブロークンダラーという名前で、繁盛ぶりを話してくれたのだった。
「(神町では)ブロークンダラーからですよ、次から次へと店が出るようになったのはね。とにかく物資の無い時代でしょう。米軍相手の仕事は金になったんですよ。ペイデーの日には、開店前から並ぶほど、米軍がわんさか来るもんだから、金の勘定なんかしている暇は無くて、リンゴを入れる木箱に札を投げ入れて、足で踏みつけたなんて時代ですよ。昭和二十三年ぐらいのことだと思います」
 米兵が落としていくドルによって、神町は殷賑(いんしん)を極めた。それまでの神町は、地元の人によれば、水利に恵まれないため農業もままならず、周りの村から貧乏村という有り難くない名称で呼ばれていたのだが、ブロークンダラーの経営者は当時、山形銀行の県内で一番の取引先にまでなったという。神町は米兵の存在によって富が溢れたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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