よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 二人組に話しかける時には、対象者が仲の良い者同士であると、話が弾むケースが多々ある。何となく、うまく行きそうな気がして、「おはようございます」と、先ほどと同じように声をかけてみた。
「この辺りの歴史を調べている者なのですが、朝鮮戦争の頃には、米兵が多くいたと聞いているんですけど、ご記憶はありますか?」
 私の問いかけに、二人が頷(うなず)いた。あまり拒絶するような雰囲気は見られなかった。
 野球帽を被っていた、手前の男性が話してくれた。
「ちょうど俺が八歳ぐらいだったな。米兵がいた記憶はあるよ。演習場があったから、自衛隊が駐屯する前の昭和三十五年ぐらいまでいたんじゃないかな」
「この辺に米兵も遊びに来てたんですよね?」
 質問が直接的過ぎたのか、「ハッハッハッ」と二人は声を出して笑った。笑いによって、彼らの心を覆っていた壁が崩れたのだろうか、口調もさらに柔らかくなってきた。
「そうだね。今みたいに道もよくないから、ジープに乗って来ていたな。ビアホールみたいなのがあったりしたね」
「パンパンの人たちが、部屋を借りて住んでいたりしたんですよね?」
「私はまだ小さかったから、詳しいことはわかんないけど、いましたね」
「もう痕跡みたいなのはないですよね?」
「何にも残ってないね」
「当時は、派手なネオンが光っていたりしたんですか?」
「いや、ネオンはないね。ただ、建物の色が違う。建物と言っても、この辺りは茅葺き屋根の家だからね。色が塗れないから、トタンだとか板だとかを持ってきて、カラフルに塗って、壁に貼り付けていたな」
 茅葺き屋根の民家に貼り付けられた原色のトタン。果たして、どのような雰囲気を醸し出していたのだろうか。想像するだにアンバランスなことはよくわかる。当時のカラー写真があるのならば、是非見てみたいと思った。
 私が読んだ記事では、地元の人と業者が、米兵相手に商売していたと書いてあったこともあり、その点についても尋ねてみた。
「地元の人も、かなり儲けたんですかね?」
「いや、やっていたのは、他所から来た人ばっかりだったから、地元の人は稼いでなんかいないと思うよ」
 男性は、地元と売春との繋がりをきっぱりと否定し、あくまでも他所者によるものだと強調したのだった。
「ただね、一部には地元でも潤った人はいたよね。基地に警備で入ったり、服の洗濯を請け負ったりした人もいたからね」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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