よみもの・連載

軍都と色街

第十一章 富士山周辺の色街

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 十五分ほど、道端で佇(たたず)んでいただろうか、ひとりの男性が、道路を挟んで反対側の家からゴミ袋を持って出てきた。見た目は、当時のことを知っていそうな年齢だった。話しかけない手はないだろう。
「おはようございます。この辺りの歴史を調べているものなのですが」
「はい、どんなことでしょうか?」
 私は単刀直入に聞いた。
「この場所は米兵相手の歓楽街だったと聞いていますが?」
 いきなりこうした質問をするのも失礼だとは重々承知していたが、男性は気さくに話してくれた。
「そうですよ。知っている人は少なくなったけどね。ちょうどあそこがビアホールだったんだよ」
 そう言って、二十メートルほど離れた場所にある民家の辺りを指差した。続けて、当時の状況を話してくれたのだった。
「ここに米兵がいた頃、私は小学生でね。ギブミーチョコレートと言って米兵を追いかけたものでした。朝になると、米兵とパンパンが道路で寝ていたりね。うちの家もパンパンに部屋を貸していたんですよ。昔は間取りが田の字の形をしていて、四部屋あるのがこの辺りの家の作りなんだけども、三部屋を女の人たちに貸していたんです。家の者は残りの一部屋で暮らしていましたね」
「米兵も家に入ってきたわけですね?」
「そうですよ。家族の部屋以外は、米兵と女の人がいるんです。日曜日に米兵は来るんですけど、やることは一つですよね。覗(のぞ)いたわけじゃないですけど、『フーフー、ハァーハァー』って声が聞こえてくるんですよ。ちょうど小学校四年生ぐらいだったかな、米兵とパンスケが道端で寝ていたんですよ。イタズラしてやろうと思って、米兵に大きな石を投げたこともありました。そうしたら、怒って米兵が追いかけてきたりしてね」
「働いていた女性のことは覚えていますか?」
「うちにいたひとりは、山形から来た人だったかな。二十歳ぐらいからこっちに来て、米兵がいる間は、そういう商売をずっとしていましたよ。あとは、米兵と結婚した人もいましたし、地元の若い娘の中には、米兵にチヤホヤされるもんだから、遊んでいる女の人もいましたね。遊びから商売をするようになって、御殿場のほうでそういう仕事をしていた女の子もいました。うちにいた女の人が、米兵が置いていった、見たこともない大きい板チョコをくれたりしたんだけども。それが美味しかったんですよ。それから、“ギブミーチョコレート、ギブミーマネー”を覚えて、米兵を追いかけたもんでした。チョコレートをもらっても当時は電気の冷蔵庫がないですから、ザルに入れて井戸の中に吊るして保管したんです。私は昭和十八年の生まれで、米兵の記憶があるのは小学生の頃でしたから、そんなことが一番の思い出ですかね」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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