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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)15 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 ――いま思えば、あの時すでに元直殿は村上義清と何らかの接触をしていたということか。皆の意見を村上との同盟に導き、武田との共闘を阻止しようとしていたのやもしれぬ。それが失敗に終わり、棟綱殿に見切りをつけたということか……。
 禰津元直は滋野一統の中で海野棟綱に次ぐ重鎮である。
 しかし、棟綱は日頃から独断で物事を押し進め、元直の進言を聞こうとしなかった。滋野一統の宗家を預かるという自負が強すぎ、他の者に耳を貸さない。
 唯一、嫡男の幸義が意見した時は、たまに話を聞いていたぐらいである。そのため、幸隆は直言をせず、海野幸義を納得させた後に、父親と話をしてもらうことにしていた。
 ――元直殿が砥石(といし)城ごと村上に寝返ったとしたならば、われらはこの小県で完全に拠り所を失うことになる。
 幸隆は何とか己を落ち着かせようと歯を食い縛る。
 そこへ松尾(まつお)城へ走った使番が戻ってきた。
「御注進! 松尾城にも村上の旗幟(はたのぼり)が立っておりまする!」
 蒼白(そうはく)な面持ちで、使番が叫ぶ。
「頼綱(よりつな)が……あの頼綱も元直殿と一緒に寝返ったというのか……」
 幸隆は茫然(ぼうぜん)と立ち尽くす。
 ――砥石城のみならず、松尾城も敵の手に渡ったとなれば、われらの退路さえも断たれてしまう……。
 事態は最悪の局面を迎えていた。
「そなたはすぐに伊勢崎砦(いせざきとりで)へ行き、棟綱殿に砥石城と松尾城が落ちたことを伝え、急ぎ鳥居(とりい)峠から吾妻(あがつま)へ向かうように言ってくれ。退路を断たれる恐れがあるゆえ、一刻の猶予もならぬと」
「しょ、承知いたしました」
 使番が血相を変えて走り出す。
 ――幸義殿にもこの事を伝え、とにかく逃げねばならぬ。逃げ遅れたならば、全滅もあり得る。武田を囮(おとり)に使い、寝返りまで仕掛けていたとは……。村上にしてやられた!
 幸隆が動こうとした刹那、別の伝令が駆け込んでくる。
「御注進! 火急の件にて、このまま失礼いたしまする!」
「いかがいたした」
「国分寺表(こくぶんじおもて)にて武田が総攻めを行い……う、海野幸義様……む、無念の御討死にござりまする」
「幸義殿が討死!?」
 信じ難いといった表情で、幸隆が天を仰ぐ。
「……残りの兵は?」
「……ほとんど……おりませぬ」
 血を吐くような声で、伝令が叫ぶ。
「なんということか……」
 一瞬、眩暈(めまい)に襲われ、意識が遠のきそうになる。
 幸隆はなんとか踏みとどまり、両手で思い切り己の頬を叩く。
 ――しっかりせよ! とにかくここから撤退し、棟綱殿と合流せねばならぬ。吾妻まで逃げ切らねば。
「われらも兵を退くぞ! ここから真っ直ぐに鳥居峠に向かう!」
 幸隆は残った兵をまとめ、伊勢崎砦を出たはずの海野棟綱を追い始めた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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