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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志10 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「海ノ口城は山城の典型にござりまする。こうした城の内情を探るには、軽業に長(た)けた者どもが欠かせませぬ。狙い通り、この荒天をものともせず、大雨を逆手に取って身を隠し、城中に忍び込んで調べを行いました」
「して、平賀(ひらが)の城兵は、どのぐらいいるのか?」
「駿河守殿、性急すぎまするぞ。せっかく、若君様もおられるのだから、出陣前から順を追って話した方がよかろうかと思いまする。そうせねば、戦を始めるための要諦(ようてい)、物見や諜知という役目の真髄をご理解いただけぬと存じまするが」
 それを聞いた晴信が身を乗り出す。
「是非に頼む!」
「承知いたしました」
 信秋は頷きながら、勝ち誇ったような笑みを信方に投げかける。
「こたびの陣触れに先駆け、われらは若神子(わかみこ)、諏訪(すわ)、海ノ口の物見を行いましてござりまする。その時は海ノ口城に二千余の兵が入っていると、ここいら辺り一帯にまで風聞が広がっておりました。地の者たちも口を揃え、さようなことを申しておりましたが、われらは真に受けておりませんでした。この大芝(おおしば)に草の者を植え付け、本腰を入れて城の縄張りを調べることにいたしました」
 草の者とは、敵地に根付いて諜知を行う忍びのことである。
「そうしたところ、海ノ口城の実態が見えてまいりまして、とても二千余の兵で籠城ができるほどの大きさではなく、城塞というよりも砦堡(さいほう)と呼ぶべき規模でありました。おそらく、詰め込んでも一千の兵は無理かと。では、なにゆえ、二千余の兵がいるなどと、まことしやかな風聞が流れたのか?……結論から申せば、平賀の者どもが城へ入る時、故意に流したとしか考えられませぬ」
「それはわれらを欺くための虚報ということであろうか?」
 晴信の問いに、信秋は首を横に振る。
「平賀勢が佐久の本拠から海ノ口城へ出張ったのは、われらが兵を挙げる、ずいぶんと前のことにござりまする。つまり、虚報が誰に向けられたのかを読み解くには、そこまで遡(さかのぼ)って考えねばなりませぬ。われらが調べたところによりますれば、平賀成頼(しげより)が海ノ口城へ入った背景には、葛尾(かつらお)城の村上(むらかみ)義清(よしきよ)と盟約を結び、小県(ちいさがた)と佐久(さく)の間にある海野平(うんのたいら)を統(す)べる滋野(しげの)一統を挟撃したいという狙いがあったのではないかと。つまり、二千余の兵という虚報は海野平に向けて流されたものと考えられまする。もうひとつ、海野平へ攻め入るためには後顧の憂いを断たねばなりませぬゆえ、背後の諏訪家を牽制(けんせい)するためにも使われたのではありますまいか」
「なるほど! それゆえ、若神子の辺りまで風聞が広がっていたのか」
 晴信は感心したように頷く。
「さようにござりまする。さらに、われらが新府を出立してから海ノ口城の兵数が三千余であるという風聞が広まりました。これまでよりも一千の兵が増えたことになりますが、まったくの出鱈目(でたらめ)にござりまする。われらの草の者が大芝の里で城への出入りを見張っておりますが、新たに海ノ口城へ入った兵などおりませぬ。この三千も平賀の手の者が流した虚報にござりましょう」
 信秋の話を引き取り、信方が問いかける。
「そなたの話で敵が策を仕掛けているのは、よくわかった。その上で訊くが、そなたの諜知では海ノ口城の兵をどのくらいと見ているのか?」
「われらが摑んだところでは、一千に遥か満たないのではないかと。多めに見積もっても、城兵は五百から八百の間というところではありますまいか」
「まことか! 多くても八百というのならば、われらの十分の一。城攻めができぬという数ではないな」
 信方の声色が急に明るくなった。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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