連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)7 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「はい。京から甲斐の武家に参られた三条の御方様にとりまして、嫁ぎ先やご実家への最大の朗報は、お子を授かったということではありませぬか。男子ならば、なお僥倖(ぎょうこう)。武田家や京のご実家だけでなく仲立ちをしてくれた今川(いまがわ)家、何よりも若の面目が立ち、四方丸く収まるのではありませぬか」
「確かに、そなたの言う通りかもしれぬ……」
 晴信は微(かす)かに俯(うつむ)く。それから、眉を吊り上げて顔を上げる。
「……されど、理屈はわかっても心持ちの問題は別だ。それがしは、種馬ではない! 焦って急(せ)かされても、どうにかなるものではなかろう!」
 その両眼は本気の怒りを宿していた。 
 それを見た信方が息をついた後、敢然と喋り始める。
「若のお怒りは、ごもっともかもしれませぬ。先ほど戯言(ざれごと)を申しました、この身が間違っておりました。申し訳ごさりませぬ。されど、これだけは言わせてくださりませ。われら傅役を預かる者どもは、大きな目標がひとつ定まれば、それに向かって全身全霊で邁進(まいしん)することしか考えられなくなりまする。達成を願い、あらゆる手立てを模索し、多少の無理も厭(いと)いませぬ。それは常磐(ときわ)殿や侍女たちとて同じであり、さすがに口の悪いこの身でさえも、三条の御方様のために一丸となって努力する者たちを焦りゆえの徒労と咎(とが)めることはできませぬ。ひいては、それが若の面目を立てることにも繋(つな)がるとなれば、なおさらのこと。どうか、御堪忍くださりませ」
 信方は殊勝な面持ちで頭を下げる。
「そなたの思いや言い分はわかった。されど、わが思いも聞いてくれぬか」
「はい。是非に」
「……何と申せばよいか、その……二人で過ごす雰囲気は悪くないのだ。話も尽きぬし、慶子殿とは好みも合っている。側にいたいと思うし、自然と寄り添うこともできる。されど、約束したのだ。焦らず、時をかけて気持ちを育んでいこうと。それゆえ、周りにはしばらく黙って見守ってほしいのだ。きっと、うまくいくはずだから……」
 少し照れくさそうにしながら、晴信は素直に思いを吐露する。
「なるほど。身辺のお世話は無用にござりまするか」
「……湯殿に入ってこられても恥ずかしいだけで、こちらも困る。かえって気持ちが萎えてしまうのだ。風呂ぐらい、誰にも気兼ねせず、独りでゆっくりと浸かりたい。さすれば、気分も一新でき、慶子殿とも新たな気持ちで向き合える」
「わかりました。ならば、こういたしましょう。それがしが常磐殿と掛け合い、湯浴みの件は何とかいたしまする。その代わりに、若は三条の御方様と過ごす時を増やしていただけませぬか」
「それは望むところだ」
「ならば、大丈夫でありましょう。これから、常磐殿と話をしてまいりまする」
「よろしく頼む」
「お任せくださりませ」
 信方は笑顔で胸を叩く。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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