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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)6 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 二人きりになった室は、やはり沈黙に包まれた。
 それを気まずく感じたのか、慶子がぽつりと呟く。
「……さきほどの御言葉、嬉しゅうござりました」
「えっ!?」
「笛のお話」
「……あ、あれか」
「あの笛は龍笛(りゅうてき)と申しまして、吹きこなせるようになりますと、低い音の和(ふくら)から高い音の責(せめ)まで二十四律の音が縦横無尽に出まする。わたくしもまださほど上手ではありませぬが、何とか二十四律の音は出せるようになりました。『寂びた音は殿方の得手』と申しますので、晴信様はすぐに上達なさるのではありませぬか」
「まことに?」
「はい。さような気がいたしまする」
「初歩から教えてもらえるだろうか?」
「はい、是非に」
 慶子は初めて満面の笑みを浮かべる。
「龍笛か……。何とも勇ましく美しい名であるな。吹きこなせれば、さぞかし妙音が出るのであろうな」
「はい。月がよく見える夜などは、鳴らしてみたくなりまする」
「なるほど、それが風流の心か……」
 晴信は感心したように何度も頷(うなず)く。
 その時、室の外から声が響いてきた。
「晴信様、慶子様、お支度ができましてござりまする」
 常磐の声に、晴信が答える。 
「……ああ、ご苦労であった。では、慶子殿。先にお着替えへ参られよ」
「はい。お先に失礼いたしまする」
 慶子は侍女を伴い、寝所へ向かった。
 独りになった晴信は両手を伸ばし、畳の上で仰向けになる。
 ――余計なことは考えず、虚心で……。
 軆(からだ)を伸ばしてみても不必要な力が入っており、どこか無用な緊張に縛られてしまう。
「はあぁ……」
 なぜか大きな溜息が出た。
「若、大丈夫にござりまするか?」
 その声に、晴信が視線を向けると、真顔の信方が室の外に控えている。
「お酔いになられましたか?」
「……いや、少し酔いたいと思うて呑んでみたが、まったく酒が利いている感じがせぬ」
「それは良うござりました。寝間着と犢鼻褌(たふさぎ)をお持ちしましたゆえ、お着替えなされませ」
 信方は小姓に命じて着替えと湯を張った盥(たらい)を運び込ませる。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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